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就職や転職の心構えと人間関係について

入社準備(心構え)
・ホームページ
・会社のルールを把握
・事業内容を理解
・業務知識を勉強
・スケジュールとやることをリスト化

・自己紹介
笑顔で話す。
相手の目を見る。
ハキハキとしゃべる。
内容は簡潔にまとめる。

会社で勉強する。
評価をするのは全て人。
できる社員はよくいろんなところをみる。
そしてまねる。
メモをとる。
謙虚にみせる。
質問する。
しっかりと聞く。信頼を得る。
相手の意見に敬意を示す。
「近所の優しいお兄さんに宿題を聞く」スタンス。

朝早く起きる→偉いな。
朝勉強している→がんばっている。
朝会話する→印象に残る。

入社日30分前に到着。15分前入室。

初出社の日は、転職者にとっては「特別な日」かもしれませんが、ほかの社員にしてみれば、いつもと何ら変わらない「1/365日」に過ぎない。新メンバーだからといって、あたたかく迎え入れてくれる会社のほうが少ないんです。それを心得ておかないと、あまりにひどい扱われように「選択を誤った!」と、転職初日から落ち込んでしまいますよ。

挨拶が大事。元気よく笑顔で!

社員の方々の顔と名前、情報を早く覚える。
自然に聞く。
聞いたことはメモをする。

新しい職場のルールを覚える。
まずは自分をアピールする前に周りを知る。

周りを見る。

敬語に気を付ける。「はい」「ありがとうございます」


そのために新人として何をすべきか?

逆説的ではあるが、目の前に与えられた仕事をがむしゃらにこなし、一日も早く社内で信頼される人材になることだ。そして、目の前の仕事については、社内の誰よりも早く、正確に的確にできるようになることだ。今の若い人たちは選択肢が多いため、ビジネス書を読み漁ってみたり、社外の勉強会に参加してみたり、キャリアについて悩んでみたり、自分の天職とは何か考えてみたりするようだ。しかし、そんなことはいいから、とにかくやれ。目の前のことをやれ。黙ってやれ。できるまでやれ。簡単な仕事すらできない人に難しい仕事は任せられるはずがない。そもそも、最初の1年か2年かは会社から授業料をもらって学んでいるようなものだ。あなたがいなくても、会社の業務が滞ることはない。しばらくの間は、皆があなたのために効率を落として、仕事を割り振ってあげているのだ。だとすれば、その気持ちに応えるべく、とにかく全身全霊で仕事に打ち込むべきだ。一社で仕事をやりきれない人が、社外に出て通用するはずがない。それが完璧にできる人こそがどんどん新しい仕事を任され、ゆくゆくは社外でも通用する人材になるのだ。


 

1.Being:どんな能力・人間性になりたいか

2.Having:何(収入や名声)を手に入れたいか

3.Giving:社会(や人)にどんな影響を与えたいのか
きみは「誰のために」「何のために」仕事をするのだろうか。
変えていきたいことはあるか?

なので、ウソや飾りなく堂々と志望動機を語ることができ、第一志望に入社することができた。

-

「どんな人間で」「何に興味があり」「どんな価値観を持ち」「どんな能力があるのか」

特別になっていく努力が必要なんじゃないでしょうか

「自分が自分以上でなければならない」という強迫観念に支配されている。

けれどもエゴは

自分は特別な存在などではなく無価値なのではないかという

疑惑を持っているがゆえに

そうではないという証拠を求めているのだという

矛盾に気がつく必要があります。

自分に価値があることを知っている人は

その価値を確認する必要はありません。

あなたが恋人の愛情を疑う時

「わたしのこと愛してる?」と確かめたくなるのと一緒です。

愛情を疑いようもない時

こういった確認をする気持ちは全く起こりません。

だってもうわかってるのだから。

つまりあなたのエゴは

あなたが特別な存在などではなく

無価値なんだと思っているために

そうではないという証拠が欲しいのです。

真のあなたは 完全に美しく 

いっさい足りないものはありません。 

あなたがそうであるように

あなたの周りの誰もがそうです。

あなたが何をしても しなくても
あなたの価値は増えたり減ったりしません。

単に謙虚なのか、
本当にそう思っているかは
自ずと分かるものです。

自分自身を

「たいした人間じゃない」

と認められれば、

ちょっとの失敗で
落ち込んだりはしません。

「役立たず」と聞いても、

「確かにそうですね。ははは。」

と笑い飛ばせるでしょう。

他人に対しても寛容になり、
広く慕われるはずです。

「人間誰しも、たいしたことはない。
役立たずでもいい」

とつぶやいてみてはいかがでしょうか。

それが、本当の意味で
自分を大切にする事につながります。

「自分は特別な人間」と
心の底では思っているから、

些細なことにも傷つきます。

自分の不完全さを認めれば、
人にも自分にも優しくなれます。

自分を特別視しすぎる
尊大な態度をとる人の特徴と心理を知り

ぜひ生き方に役立ててください。

-

つまり対等で親密な関係を築いて協力しあうのではなく上下関係を築いて一方的に利用したり、それまで良い関係を築いていても利用価値がなくなったり不快感を与えたことに対する敵意がまさると関係が一変するなど、人間的な感情よりも優劣・損得といった自分一人の利益を守る本能的な行動選択が優先されます。

自己愛者は「ありのままの自分は無価値である」という自己の存在に対する不安感に常に支配されており、人から存在価値を認めてもらった時と、誰かと比較して相対的に自分の方が上だと感じている時にのみ不安を解消できます。被害者は自己愛の自分の方が上であるという優越感を支えるためにスケープゴートとして選ばれます。

うまくいかないときは自分のなりたい姿、成功した姿を夢想したり(皆から愛され、皆の注目を集め、多くの人から惜しみない賞賛を浴びるという白昼夢)自分の才能は特別な人にしか理解されない、と思うことで心を守ります。

主役になりたがり、人の上に立ちたがりますが、「今この瞬間に・手っ取り早く・自分だけが評価されたい」という欲求が強く(爬虫類脳)、全体の利益を考えたり先を見通し判断する力がありません。

自信ありげなくせに人の評価に一喜一憂する
自分自身の価値が人の評価と人より上か下かに支えられているため、常に他者からの影響にさらされ一喜一憂しがちになります。他の人に認めてもらわないと自分を維持できないので、ランク付けや人の評価を異常に気にしたり、おだてやお世辞に弱く、褒められたり注目を浴びると5歳児のような顔で喜びます。
その一方で「良い自分(肯定的な評価)」しか受け入れられず、些細な批判に傷ついたり、過剰に反応し激しく怒ります(後述)

-

結果主義である
外的評価しか信じないため結果主義者であり、いくらがんばっても結果を出さなければ意味がない、という考え方をする傾向があります。

-

実際より良く見せかける

万能な自分、気の利く自分、愛嬌のある自分、と常に理想の自分を演じているので、表情、しゃべり方、立ち居振る舞いがわざとらしくどこか演技くささを感じます。自信ありげに振る舞い、優しい言葉をかけてくるので表面的には「立派ないい人」に見えますが、ふとした時に見せる冷酷さや器の小ささ、笑顔の嘘くささ

人の話に関心がなくイライラしたり話題をもぎ取る
自分のことで頭がいっぱいなので他者に関心が向かわず人の話を聞けません。他の人が話している時はイライラしながら自分が喋るタイミングばかり見計らっていたり、人の話の中のキーワードをきっかけに話題をもぎ取り、いつの間にか自分の話にしてしまいます。人を自分が話すための叩き台ぐらいにしか考えていません。
常に注目されたり賞賛が得られないと気が済まないため、自分が中心でいられるように取り巻きを作ります。

その一方で目上の人や異性など良く思われたい相手には大袈裟に相槌を打ったり、手を叩いて笑うなどわざとらしいリアクションで聞いているアピールをします。(自分がして欲しい反応を相手も求めているだろうと思うため。)

-

ダメな人の世話をやきたがる、悩み相談に乗りたがる
年下や、弱っている人、ダメな人に関わりアドバイスをしたり世話を焼きたがります。頼られたり感謝されることで自己無価値感から解放されるし、惨めな話を聞くことで自分の優位性を確認できて心が癒されるからです。彼らの表面的な親切は「少しでも自分の方がましだと思える立場にいたい」という動機にもとづいており、不幸な人は格好の餌食になります。相手の苦しみに共感しているわけではなく、上の立場に立って意見できる状況にわくわくしており、問題が解決されると内心がっかりします。好転しそうになると邪魔をしたり、失敗するように悪意の誘導をすることもあります。率先して悩み相談に乗りたがりますが、自分の苦労話にすり替えて説教をしたり、聞き出した不遇な話を嬉々として周囲にばらまいたりします。

-

明るい性格は「不安の防衛的性格」でした。別の言葉で言えば、明朗と活発は「躁的防衛」です。本当は自分に自信がありません。その人は自信のなさを隠すために社交的に明るくふるまっていただけです。妙にはしゃいだり、不自然に明るかったり、わざとらしい親しさをふりまく人がいます。内面の自信のなさを、その「はしゃぎ」で隠しているのです。そういう人は無理に明るい性格を演じても、「何でも話せる親しい友達」がいません。皆に好かれたい気持ちが強いから、極端なまでに周囲の人の期待に応えようとします。でもどこかその明朗さは不自然なのです。

自己中心的で、他人を思い通りにあやつって、自己愛をみたす道具にしてしまうタイプです。他人を利用手段としてしか考えていないわけです。ですから、自分の自己愛をみたす手段としてのみ他人と付き合う。人間関係では人と決して深いつながりをもちません。

しかし一見親切そうであたたかみがあり、人の気をひくことが上手で、社交性が発達している人使いがうまいタイプなのです。ちょっと声をかけて人の気をひく、ものわかりのよさそうなポーズを示す、握手をし、肩をたたき、親密感をもたせる。イイ人だ、あたたかいといった錯覚を作り出して人を思い通りに動かしていくタイプです。彼にしてみればみんなが自分に好意をもち、思い通りになることで、自己愛をみたすのであって、決して相手を深く思いやって付き合ってはいないのです。

-

付き合いが浅い、彼にとっての「他人」の前では正反対の自分自身を装うのです。
つまり挨拶をきちんとし、軽蔑する相手であってもに卑屈になるほど腰が低く(この病の特徴がよく現れていますが)、会話も誰とでもきちんとキャッチボールができるというような感じですので、一見彼はちょっとナルシスト的なところはあるが普通の人という印象を与えます。

一見、社交的に見えても、それも
1 対人操作して自分が優位に立とうとするためのいい人アピール
2 自分の隠している陰険さが露見してないか確認するためのチェック行動、

一切こちらの情報を与えない、表面的にしか付き合わない

謙虚であることで周囲の人にも自分は良い人間だ、ということを
認めさせたがっているとか?
これだけ気を使えるのだから、自分はとてもよい人間だろう?という
自己満足のためのアプローチ。

生きてきた中で学習した、人間関係を円滑にさせるものの中で、分かりやすくて簡単なモノを受け売り的に表現しているだけの様に思えます。

気遣いの本当の意味を知らないが故に、頻繁に気遣いをしている様な表現をし、人間的に出来てますよ・大人な人間ですよ、と示したい(又は、そう思い込んでいる)モノがある様にもみうけられます。(それと同時に、形式的な気遣いが出来ない人物を批判する傾向もあるかと思われます)
つまり、本当に相手を気遣った訳ではないので、ある種の不信を抱く事も人によってはあると想像されます。

あと、「我を通しまくる」のは「一定のラインを越えた人」が対象です。
人付きあいの最初は「気遣うモード」で同意者側に引き込もうとします。

そんなパターン・思考が多いと思います。

-

会話をしている中で、沈黙というのは必要な時間である。
言葉のキャッチボールの中では考える時間というのがある。
それが人格障害者には理解できない。
思想がないから常に即答。その場しのぎの言葉ばかりを即答。

他者に関心がない理由
・自分自身は特別な存在と考えているので、他者の権利や欲求に関心がない
・相手のことを家来くらいにしか思っていないので勿論相手の話には興味なしです
・常に他者からの影響を受けて不安定な状態の自尊心を維持するためにエネルギーを大半を注ぐあまり「自分のことで頭がいっぱい」の状態になりがちで、こうなると他者への配慮どころではなくなります。
・相手を一人の人格者として尊重しないという本質的な意味で無関心であり、自らの欲求充足の手段としてしか他人を見なしていない

注目されていないと不機嫌になる
・自分が中心でいないと満足できない
・常に褒められたり注目されていないと不機嫌になる。
・いつも自分が優位に立ち、賞賛が得られないと気がすまない

・自分が褒められているとすごい嬉しそうな表情をする。更に褒められたいのかその話から離れようとしない
・自分が褒められてないと気がすまない。他人が自分以外の人間を褒めているとムカつくらしい

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自分が注目されていないと、機嫌が悪くなっていたり意気消沈していないでしょうか。
飲み会など団体で行動している場でこの性質をチェックしてみてください。
モラハラ男は、注目されていないと途端に不機嫌になっています。

患者さんは、自分が不安になると、それがそのまま他人に分かられてしまうと思い込んでいます。また、不安になった自分を見て他人はバカにしたり笑うと確信しています。一度失敗したら挽回するチャンスはないと思い込んでいます。
こういう考えは、確かのその可能性はゼロではないと思いますが、ほぼ間違っています。あえて強い言い方をするならば、妄想と言っても良いかもしれません。

わがままな自己が死んだという意味では、やはり死に近づかない限り、人間は変われないようです。

見捨てられ不安の方は、ポジティブなこと、幸せなことは、記憶する習慣がないために記憶出来ないのです。これは、乳幼児期に危険を察知し、自分を押し殺さなければ生きてこれなかったため、危険(他人からの怒りや暴力)を察知する癖がつき、日常的に、他人の怒りや感情、暴力等を察知、記憶し、生きていこうとする術なのです。ポジティブなこと、幸せなことは、危険性がないために認識しにくく、記憶しにくくなっています。
なので、見捨てられ不安の方は、どんなに温かな愛情を贈られていても、気付きにくく、意識には届きません

信頼が断ち切る
これを断ち切る一つの方法が「信頼」です。子どもの脳の力を信じ、自分の脳の力を信じる。今の力だけでなく、未来の解決力を信じる。

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プレゼントを贈る、おごる、お世辞を言う
相手に気に入られたいときや自分の立場を良くするためにお世辞を言ったりものを贈ります。サプライズプレゼントをしたり、差し入れをしたりおごってくれるので、周囲には気の利く人、気前のいい人にうつります。人が喜んでいる顔を見るのが好き、という言い方をよくしますが、実際は「人を喜ばせることができる自分が好き」(他者からの評価を通して自分の貢献度を確認し、自己愛を満たすのが目的)なのであり、期待した反応(感謝)がないと相手に怒りや不満を覚えます。

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恩を売り、優位に立つことで支配関係を作る
こういった献身は一見純粋に相手を思いやっているような印象を与えますが、根底には、感謝や好意を得るという目的と恩を売ることで心理的に優位に立ち、相手を支配したいという動機に結び付いています。「これだけのことをしてあげたのだから負い目を感じ、私の思い通りに行動する義務がある」と考えており、言いなりにならないと「恩知らずな相手に裏切られた

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共感性が低いため自分が好きなものは人も好き、自分がされて嬉しい事は人も嬉しいはずだ、という思い込みがあり、相手の立場に立ってものを考えることができません。

思い通りにならない人への無視や軽蔑感が強まる(全否定の対象)
相手が自分の期待通りの反応をしてくれる時は寵愛しますが(理想化)、褒めてくれない、感謝が足りない、賛同しない、干渉的な言動を邪魔くさがり相手にしてくれない、など思い通りにならない人は途端に全否定の対象となり(脱価値化)、仲間はずれにされがちです。100か0でしか物を考えられず(白黒思考)両極端な対人評価をするので、些細なことで人間関係が不安定になり良い関係は長続きしません。

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他人の痛みに対して鈍感でデリカシーの無い言葉で人を傷つける
共感性が乏しいため人の心の痛みに鈍感で思いやりがなく、相手の立場に立ってものを考える事ができません。空気の読めない発言をしたり、デリカシーのない言葉を口にして平気で人の心を傷つけますが、指摘されると「そんなつもりで言ったんじゃないのに」「冗談も通じない」「器が小さい」と逆に相手を責めたり、「些細な事ですぐ怒るプライドの高い人間」とレッテル貼りをして周囲の人たちに悪いイメージをばらまきます。

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一人の時間が耐えられず、必ず同居・同棲しており取り巻きと行動する
自分の価値を確認するために常に他者の存在が必要なので、一人の時間が耐えられません。自己愛者の9割以上が必ず誰かと暮らしており(ルームシェア、恋人と同棲など)、常に取り巻きたちと行動を共にしています。一人で行動する事が苦手で食事や買物なども一緒に行きたがったり、ランチやパーティーと題して頻繁に自分の周りに人を呼び集めたりします。趣味やストレス発散法を持っておらず、一人で有意義な時間を過ごすことができません。淋しがりやで無視されたり仲間はずれにされることを極端に恐れている一方で、気に入らない人を無視したり仲間はずれにします。
一人でいるときは無価値な自分と向き合わなければならないので落ち着かず、しきりと髪をなでたり貧乏ゆすりをしたりイライラしています。

(話の腰を折ったり少しでも批判的なことを言うと途端に機嫌が悪くなるため、楽しく会話のキャッチボールをするのではなく、自己愛の語りをただハイハイ相槌を打ちながら聞くだけの関係になりがちです。)

外面が良く目上の人や親しくない人には媚びる(表裏が激しい)
常に自分と比較して上か下か、媚びる価値があるかどうかを計っており、目上の人、権力者、異性やよく知らない人に対してはまったく違う態度で接します。気遣いをし、相手に合わせ、媚びたりお世辞を言ったり、ニーズを探りながら理想の自分を演じます。

対等の関係を築けず友達はいない
一人が好きな人や友達のいない人を馬鹿にしていますが、よく見ると取り巻きはいても「長年つきあっている同年代、同性の友達」がほとんどいません。パッと見は明るく社交的、毎日賑やかに楽しく過ごしているように見えますが、白黒思考の自己愛者にとって、人間関係は「上(相手に合わせ従う関係)」か「下(支配し従わせる関係)」かのどちらかになり、言いたいことが言い合える対等の関係が作れません。初めは友達として付き合い始めても身近な人とは支配関係でしかつながれないため、モラハラが始まり逃げられてしまいます。

人間関係を自分より上か下かと利用価値でしか見ない
結局、本当の意味で加害者の世界に「他者」は存在していないのです。彼らの世界に存在しているのは、「自分という特別な存在」だけ。他者と人間関係を持つにしても、それは自らの自尊心を支えるために人を利用しているに過ぎません。必要としているのは、自分の無価値観を克服してくれる、雑用を処理してくれる、という利益をもたらしてくれる関係性であり、利用価値がなくなったり思いどおりに動いてくれなければ興味を失い、新たな搾取相手を求めます。
自分とは違う考えや価値観をもった他者を尊重し、対等な一人の人格として認め、心を通い合わせ、思いやりを持ったり感謝する能力が乏しく、信頼し合った関係を持つことができません。

仕事・職業意識
他者の尊敬や注目を集める職業を選びます。目立つ派手な仕事ばかりやりたがり、やりたくない仕事(雑用・失敗しそうな仕事・頭を使う仕事)はうまく丸め込んで弱者に押し付け、少し手伝っただけで自分もやったと主張するなど、要領よくおいしいところをかっさらいます。
ライバルを蹴落としたり(モラハラ)、うまくいっている人のマネをしたり、身近な人の能力を利用した後実績を横取りしたり、権力者に取り入ったり。仕事に貢献しているパフォーマンスはうまいので、異常な競争心と自己顕示欲で成功することもありますが、一人になると大したことはできません。「瞬間的に高いポテンシャルを示すこともあるが、長期的に見ると多くは平凡な結果しか出せない。」大物はおらず、小物が多い。

相手の立場に立って考えられないので説明がわかりづらいが、聞き返すと激怒する。

人の真似をする、人の影響を受けやすい
コツコツと努力することを嫌い、周りで評価されている人がいれば安易にマネします(取り込み)。コピー能力の高い人は身近な人の良いところを取り込み続けて成長していきますが、大抵はどの要素も本人に追い付かず表面的な模倣(癖や動きなど)にとどまった劣化コピー状態や、身近な人の要素を張り合わせたパッチワークやコラージュのような人格となり、奇妙な印象を与えます。

個性がなくどこか浅く薄っぺらい
他者から評価されることが最重要なので「多数派」に流れがちです。得だと思ったら簡単に迎合したり、人の真似をしたり、その時々で身近な人に影響されておいしい方に流れるので個性や一貫性がなく、どこか薄っぺらく感じます。(趣味がバラバラなど)

自分の頭で考えられない、創造的活動が苦手
自我(これが自分、という核のようなもの)が脆弱で自分の考えや判断がなく、何をすべきかわからなかったり、自分が本当は何が好きで何が嫌いなのかもはっきりしません。意見を求められるとメディアや人の言葉から丸パクリした知識を披露したり、第三者の意見で反論したり、人に言わせて賛否だけ答えるという形をとります。また、自ら何かを生み出すことが苦手であり、創造的な仕事に熱心に取り組むこともありません。

趣味がなく一人の時間を楽しめない
常に他者からの反応を必要としているので、自分ひとりで何かを計画したり考えたり行動するだけでは、安心感・自己価値感を得ることができず、一人で有意義な時間を過ごせるような自発的な趣味や関心事がありません。○○が好きな私、という演出につながる人の目を意識した趣味(おしゃれな趣味やカリスマ的人物に傾倒)や利益につながる趣味を持つことはありますが、表面的な情報しか知らず知識が浅かったり、長続きせずすぐに飽きてしまいます。

デートは自分の行きたいところ以外は認めないし、自己愛を満たすことが目的なので元々相手の中身にはあまり関心がありません。

上下関係、主従関係を作りたがる
優位に立ちたがり、相手が逆らうことのできない主従関係を作りたがります。年上であることや過去にしてあげたことを強調して恩に着せたり、相手の失敗や苦手な分野の話題ばかりを持ち出し見下すなど、無理矢理にでも上下関係を作ろうとします。(その逆に、相手の価値ある部分には見向きもしません。)
取り巻きや恋人にも優位に立てる関係性を求め、優れた要素のある人物には近寄りません。

身近な人の成功や幸福を喜べず、失敗や不幸を喜ぶ
幸せの基準も人より上か下かによって揺れ動くので、人の成功や幸福を素直に喜べません。人が褒められているとつまらなさそうな顔をしたり、本当はうらやましいのに興味がないフリをしたり、身近な人が嬉しかった話をすると皮肉を言ったり水をさすなどわざとがっかりさせるような態度を示します。
人の不幸や失敗が大好物で、身近な他者の失敗した、怪我をした、叱られた、失恋したなどの不幸なできごとに子供のような無邪気な笑顔で喜んだり、率先して悩み相談に乗るなどしてネガティブな情報を聞き出し、わざと不安を煽るようなアドバイスをしたり、聞き出した話を周囲にばらまいたりします。身近な他者は才能がなくみじめでかわいそうで、優越感を支えてくれる道具でなければ存在することを許されません。

優越感を支えるために身近な人を見下し、説教をしたり馬鹿にする
身近な人にいちいち干渉し、チャンスがあればお説教をしたり、周囲を巻き込んで笑いものにしようとします。弱い立場の人を傷つけることで優越感に浸るのが目的なのですが、「お前のためを思って言ってやっている」「冗談で言ってるだけ」と自分を正当化します。ズケズケ言うのにネチネチしており、監視やストーカーをしてまでアラを探し絡み続けます。

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ダメな自分、悪い自分は親から見捨てられて死んでしまう、という不安が根底にあり、自分の非を認められません。相手に責任を押し付けたり侮辱したり、記憶を改ざん・消去してまででも自分を正当化します。

自分のためを思ったアドバイスであっても、内容より批判されたという表面的なことしか意識に残らず逆恨みしたり、「脱価値化」(自分の価値を認めてくれない相手には価値がない、と考えて心を守る心理)で対応し、反省して新しく学ぶことができません。(表に出さないこともありますが、心の中では自分は悪くない、と責任を他者に押し付けることで自尊心を維持します。)

以下のような言葉(自己愛本人の特徴)を身近な人にぶつけます。
「お前は自分のことしか考えていない」「ワガママ」「人の気持ちがわからない冷たい人間」「お前は人の評価を気にしすぎる」「お前はプライドが高い」「怒りっぽい」「器が小さい」「お前は友達がいない」「無視をするな」「言い訳するな」「マネするな」

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感謝を感じず恩を仇で返す
元々周囲の人間は特別な自分のための道具としか思っていないので、感謝をすることはありません。特に身近な人物からしてもらったことは、相手に優位に立たれてしまった都合の悪い出来事(万能ではない自分を認めること)なので記憶から消去してしまい、結果的に恩を仇で返す、という形になります。(散々尽くしたのに「何もしてくれない」と本気で言い出し周囲に言いふらすなど。)自分がしてもらったことを自分がしてあげたことのように記憶を逆転させてしまうこともあります。
ただし対外的な視線を気にしたパフォーマンスとしての感謝は示すので素直な人や表面的にしかものを見られない人は騙されます。(道具のようにこき使っておきながら、今の僕があるのは妻のおかげだ、とか素晴らしい部下をもって幸せ者だ、などと言う。素直な人はたまの労いの言葉だけでコントロールされてしまう。)

表面的
被害に遭った人の体験談で表面的という言葉がよく使われていたので、このワードで統一しました。「気遣ってるように見える行為」をしているだけで本当に相手を思ってるわけではなかったり(=「真の思いやりのなさ」)、得意気に語っているけど知識が付け焼き刃で雑誌で読んだものや人の言ったこと丸パクリだったり、好かれている人のキャラをそのままマネしたり、人のことも中身じゃなく肩書や自分との関係性でしか判断できなかったり、少し話しただけで相手のことを全部わかったかのような態度で接してきたり、勝手な思い込みでレッテル貼りをします。(上辺だけ、浅い、薄っぺらい、付け焼き刃、その場しのぎ、近視眼的で、大局的・俯瞰で物を見られない)。

快・不快で人を判断
「漠然とした快・不快で人を判断している」
いい気分にしてくれる人(褒めてくれる、利益がある)→味方、イラっとさせる人(注意をした、自分より仕事できる、言うことききそうと思ってタゲったのに全然聞かないなど)→敵。相手の中身(人格や人間性)を見て好き嫌いを判断するのではなく、利益を与える関係性かどうかにしか関心がない。5歳児レベルの判断力

精神年齢(脳年齢)が0~7歳で止まっている
自己愛本人は取り巻きの面倒を見てやってるつもりでいても、実際は誇大的な自慢話を語る自己愛(「僕はウルトラマンだ!」と言っている子供)をみんなであやしてあげる関係になってしまう。周囲の人たちに母親のような反応(いつも自分を一番に考えてくれて目を輝かせてスゴイねと褒めてくれる)を期待しており(鏡映転移)、思い通りの反応でなければ癇癪を起こしてしまう。幼児性が強いため、不快な気持ちを言葉ではなく態度でしか表せない。自分の話ばかりで人の話を聞けない。自我が形成されていないためすぐにマネをしたり人の影響を受けやすく言うことがコロコロ変わる。褒められた時と人の不幸で5歳児のような無邪気な笑みを見せる。

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悉無律思考(白黒思考)
全か無か(オールオアナッシング)、100か0か、良いか悪いか、敵か味方か、と両極端な考え方をし、中間がない。べったりの付き合いをしてたと思ったら、ちょっと思い通りにならなかっただけで急に大嫌いになり一つも良いところがないかのようなこき下ろしの対象になったり、程よい距離感がわからず100%支配しようとしたり完全に拒絶したり、うまくいっている時は頑張れるけど少しでもだめになると急に投げ出したり、失敗するかもしれないと思うと最初から挑戦もせず人に押し付けたり、実際は70点くらいの出来であっても100点でなければ0点と同じだという考え方をしたり、自分に対しても完璧な人間だと常に暗示をかけておかないと何のとりえもない価値の無い自分が見えてしまうので、少しの批判も受け入れられません。
自分と違う考えを受入れられないのも、例えば「一人が好き」という価値観を良いと認めてしまうと、一人で過ごせない自分がダメということになってしまうので、必死で相手の価値観や人格を否定する。どちらもいい面も悪い面もあるとか人それぞれというグレーゾーンの考え方ができない。

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原始的防衛機制
批判された時に自尊心が傷つき、面白くない気持ちになるのは健常者も同じですが、普通は合理化(相手は自分のことを思って言ってくれてるのだから)など高次の防衛機制を用いて心を守っている。人格障害の人は原始的防衛機制(生後5か月くらいまでの乳幼児でも用いることが出来る基礎的な防衛機制)を用いて不安を処理している。脱価値化(自分を認めてくれない人には価値がないと相手を貶めることで心を守る)、解離・否認(都合の悪いできごとを忘れ、なかったことにする)など。

劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる

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一つ目は、異なる意見に対する態度

知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす

 

二つ目は、自分の知らないことに対する態度

知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない

 

三つ目は、人に物を教えるときの態度

知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている

 

四つ目は、知識に関する態度

知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する

 

五つ目は、人を批判するときの態度

知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。

 

知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、という話であり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものなのだ、と思う。

「まず◯◯さん、洞察力と、営業力が素晴らしいです。つづいて、◯◯さん、営業力はあまり無いですが、人望があり、人をやる気にさせる力がずば抜けています。リーダーの◯◯さん、現場を任せたら社長よりもうまいでしょう…すいません。そして、うちの部の◯◯さん、新人なんですが、ハッキリ言って私よりも設計する力は上です。」

社長はニコッと笑って、「ずいぶんと多いな。」という。

「当たり前です。皆私よりもいいところがあり、そして、私に劣るところがある。」

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人が好き→欺瞞、人との比較によって自尊心を保つ、人そのものが好きではない、褒めてくれる人、優越感を感じられる人が好きなだけ、

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ビジネスディベロップメントに必要な素養として、以下の3点が上げられています。

前向きで明るい
謙虚で素直
自分の意思がある
これら3点は結局、「人を巻き込む」ための素養、人が協力しよう、一緒に仕事をしようと思う要素なのでしょう。

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数字を勉強する
ターゲットの数、人口、人口分布

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自分に厳しく規則正しい生活ができているかどうか、人付き合いや、家族、家庭を大切にしているかどうか、一社会人としてきちんと自立できているかどうか、まずはこの3つがベースです。そして、飽き性であってもかまいませんが、諦めない性格かどうか。一度決めたことを最後までやり抜く根性があるかどうか。さらに、起業したら長い期間をかけて勝負することになりますので、これから5年、10年、自分の志だけにコミットできるかどうかも大切です。たとえば、人から出資を受けて、人を雇って起業したら、簡単にはやめられません。これらの質問に対する答えがすべてYESであれば、その人は起業に向いていると思います。ただし、少しでも迷いがあるなら、私的には考え直したほうが良いと思いますね。
 企業経営者はフィジカル面もメンタル面も、常に自分をバージョンアップさせていく必要があります。そういった意味では、スポーツとよく似ているといえます。

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今の世の中、もっといいモノだったら欲しい。だけど無くても困らない。(でもタダなら欲しい)。営業プレゼンテーションは説明ではなく、相手の心と感情に対してするもの。説明だと相手は脳で理解する。人間の行動に最も影響を与えるのは脳ではなく心と感情である。プレゼンテーションは、相手の心や感情に働きかけ、価値観を変えてあげること。セリフ・言葉よりも、「言い方、表情、しぐさ」の方が大切とのこと。

大きく5ステップで伝えている。
1、心を開くアプローチ
①.表情はニッコリ、相手の反応に反応することで相手の心が開かれる。
②.相手は必要ないモノを買わされるんじゃないかと不安がある。断ったら人間関係が崩れるんじゃないかと考えてる可能性がある。 もし必要なかったら断ってもいいですよと伝えて安心を与える。
③.相手と同じ気持ちになって(同調して)導く

2、問題意識を引き出す:相手に問題意識を与えるのはNG(相手は抵抗感を持つ)。問題意識は与えるのではなくて「今のままじゃダメだ」という気持ちを引き出す。その為に
①.まずは相手に同調する 
②.与えたい問題意識を疑問形で質問する。

3.利益と可能性を描かせる:伝えたい利益と可能性を抵抗感なく伝える必要がある。「もし仮にAとBだったらどっちがいいと思いますか?」と質問しながら、映像とストーリーで五感を刺激する。さらに人は理由があって納得する。その為、相手の為にも前提を入れてあげる。

4.クロージングの秘訣:相手を本気にさせる。(相手の本気を引き出すにはまずは自分が本気になること)。相手の本当になりたい姿、心の中にある熱の源を見つけて着火させる。

5.反論処理のツボとコツ:安心感を与えながら、商品やサービスがもたらすメリットを再確認する。反論の言葉の裏に隠された、相手の「心の本音」をケアする。

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交際をするのなら、『気遣いをすること』『高め合えること』『協力し合うこと』が大切になります。

 例えば、「あの人はできていることがあるように、私にもできることがある。」と、対等に才能を認めること。

 反対に、「他の人にもできないことがあって、私にもできないことがあるのは当然なんだ」というように考えてみる。

 また、「あの人はすごく可愛い。でもそれに比べて私は可愛くない」というように立ち止まるのではなく、「だから私も可愛くなろう」と前向きに思う。

 他人に対して優しく接するのと同じように、自分という存在に対しても、リラックスさせてあげたり慰めるなど、優しく接してあげる。

 他人ばかり評価したり、他人にばかり優しくすることで、結果的に自分をおろそかにしていると、それだけで「私は他人よりも価値がない」というイメージが出来上がってしまいます。

 このように、他者と自分を同じように評価し、同じように接することで、対等性を保つことができるようになります。

 相手と対等になれないと感じる人には、「自分のことを認めていない」という方が多いです。

 そして、自分の価値を他人の判断に委ねてしまうため、相手が自分を認めなくなったとき、一気に自信が失われてしまうんですね。

 そのために、「誰かに認めてもらう」ことが人生の目的になってしまい、他者の顔色を伺って自分から格下になってしまう…ということが多いのです。

 さらに、他人の判断に自分の存在を委ねてしまうと、自信が持てないまま不安定な状態が続き、必要な時に能力を発揮できないなどの弊害も生まれます。

 その結果、「やってもできなかった、また駄目な私」というように、自分を低めるパターンが続くようになるんですね。

 本来、自分に対する信頼や自信は、自分が成し遂げてきた過去の経験によって創られます。

 そして、他人があなたを認めてくれるから自信がつくのではなく、自分で自分を信頼してはじめてこそ、あなたの能力は100%発揮されます。

 ですので、他者の評価にあなたの存在を委ねるのではなく、あなた自身が今まで行ってきた過去の出来事を認め、それを信じて力を発揮するようにしてみましょう。

格下になってしまう…という人ほど、実は主体性が欠けているということも多いです。

 これは、常に自分に自信がなく、他者の判断に自分の行動を委ねてしまっているために、「相手が言ったからこうする」と盲目的なっている状態です。

 例えば、「自分がしたいかしたくないか?」ではなく、「母親が言ったからやらなきゃ」というような場合です。

 このように「相手に言われたから」という受け身の姿勢でいると、自分の意志がないまま行動し、犠牲になるということが続きます。

 そのため、行動する時は必ず「相手に言われたから」ではなく、「自分がやると決めて」行動するようにしてみましょう。

 他人に言われたから、頼まれたからという理由ではなく、「私がこうしたいから」とはっきり主体性を持つことによって、他者の犠牲になることが減っていきます。

 対等ではない関係を創ってしまう人の特徴として、特に顕著なのが「嫌な相手から離れられない」というのがあります。

 さらにエスカレートすると、嫌だと感じながらも「私が悪いのではないか?」と思ってしまい、相手に何とかして好かれようと頑張ってしまう…ということすらおきます。

 こういった場合は、まずは素直に「嫌だ」という感情を感じてあげてください。

 マイナス感情を抱くことを恥じる見方もありますが、どんどんマイナス感情を感じてそれを尊重して行動するようにしましょう。

 嫌だと相手に伝える、距離を置く、できるだけ関わりを持たない、という具合です。

 対人関係は、相手の態度と自分の態度が反応し合ってできあがります。

 自分の感情を押し殺しながら接し続けてしまうと、相手はあなたが嫌だと思う行動を継続してしまうんですね。

 こういった場合、もしもあなたが自分の感情に従って相手から離れることができれば、被害者と加害者の関係を断ち切ることができます。

 必要以上のことは話さない、ビジネスだと割り切って接する、ということも有効です。

 目的意識を持ち、それ以外の側面で長々と接しないようにしてみましょう。

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Point6.自分のルールを作り、それを守りながら常に行動する

 対等ではない人の特徴として、「その時の気持ちや雰囲気に流されやすい」「他人の態度に振り回されやすい」ということがあげられます。

 例えば自分が嫌だと思っていたとしても、その場の空気を読んで無理矢理飲み会に参加してしまう…などです。

 こうして「自分のしたいことに沿わないこと」を繰り返すことで、いつの間にか「他者の言いなり」になっていることも多いんですね。

 こうした場合は、まず自分の中でルールを作ってみましょう。

 この日は休みたいから早く帰る、人から誘われても自分の予定や体調を優先する、などです。

 自分が本当に優先したいことをきちんとルール化し、それを守ることで、気持ちや雰囲気に左右されない軸をつくることができます。

 その結果、他者に振り回されない、都合良く扱われない自分になっていけるでしょう。

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Point7.他人に優しくし、自分にも優しくする

 他人と上下関係を創ってしまう人ほど、「他人には優しいのに自分には厳しい」「他人にはやってあげるのに自分にはやってあげない」などの差別が行われています。

 つまり、他人に対しては時間やエネルギーを注いだり優しく接しているのに、自分のことは無視してしまっているんですね。

 このように、最初から他人に対してのみ尊重し、自分のことを無視していると、「私は時間やお金・労力をかける価値がない人間だけど、他人は価値がある」と自分で宣言していることになります。

 けれども、実は他人に労力をかけるように、自分自身にも労力をかけてあげることが大切なんですね。

 あなたが他人にするように、自分に対して心配したり、優しく接したり、常に自分の機嫌をとってあげること…。

 エステや洋服などにお金をかけてもいいですし、時間を使って旅行など自分の好きなことをやらせてあげることも良いでしょう。

 「私にも価値があるからこそ、労力をかける」という態度をとることで、あなた自身が自分のことを価値ある存在として他人と対等に扱えるようになるのです。

     *       *       *       *       *

 いかがでしたか?

 このように、私たちの心の持ちようを元に、人間関係が創られていくんですね。

 あなたが人間関係において相手より格下だと感じているのならば、それはあなた自身が自分を低めてしまっているからかもしれません。

 まずはあなた自身があなたの持っている癖を見直し、あなたという存在を他人と同列に扱ってあげてください。

 あなたがあなた自身を他者と対等に扱えるようになることで、他者との間にも対等な関係性を創ることができるようになるでしょう。

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 コミュニケーションをとるときにまず大切なのは、「自己一致すること」です。

 自己一致とは、自分自身で考え、感じ、納得している状態を示します。
たとえば、頭で考えて「こうしたほうがいいかな」と思って迷いながら話をしているときは、相手も「この人、不安そうだな……」と思い、信頼したり、すぐにOKを出すことはありません。

 また、心の中で焦りがあり、「早く何とかしなきゃ」と考えているとしたら、その焦りが態度や、言葉の早さに表れてしまい、不安定な印象を与えてしまうでしょう。

人から信頼されるとき、鍵となるのが「相手のコミュニケーションレベルに合わせる」ということです。

 ここでのコミュニケーションレベルとは、低い・高いといった軽蔑的な意味ではなく、「相手の価値観や世界観に合わせて話をする」という配慮のことです。

 たとえば、「おいしいレストランがある」と紹介するときの会話でも、「料理が家庭的でおいしい」「夜景が綺麗で雰囲気が良い」「いてくつろげる、ゆったりして気持ちを安らがせることができる」「駅から近くてリーズナブル」など、さまざまな紹介の仕方があります。

 相手の価値観や、相手がどんなことを好むのか、どんなことを重視しているのかを理解しながら話をすることで、より深い信頼関係を築くことができるでしょう。

 また、こうしたとき、言葉遣いを合わせることも大切です。相手がくだけた会話によって親しみやすさを感じているのに、「○○です」というように丁寧語を使うと、相手は「お高くとまっているの?」というように、嫌な印象を持ってしまうこともあります。決して自分としては相手を馬鹿にしたわけではないのに、相手にとっては「馬鹿にされている」と感じてしまった……というような、とてもちぐはぐなことが起きているのです。

 このように、人は自分の「言語レベル」と合った人に親密感を抱くという特性を持っているからなんですね。

 

 ですから、できるだけ、相手が好む言葉遣い、表現方法に近づけて話すことを心がけることで、より早く信頼関係を築けるようになることでしょう。

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■自分の想い(本音)を時々交える-印象づける

 どんな場面でもそうですが、知り合って間もない頃は、まだ本当の自分自身というものを表現していません。

 社交辞令的なスタンスばかりになってしまうと、あなた自身の人間的な印象が薄くなってしまうために、結果的に縁が深まらなかったり、縁が切れてしまい関係が続かなくなってしまう……ということが起こります。

 人は、相手に対して、共感できたときや、尊敬できたときなど、感情が動いたときに「この人と関係を続けたい」という欲求を持つんですね。

 ですので、3つのポイントは、相手に興味を持って共感を示すだけではなく、そこに対して共感しているという自分の想いを伝えてみたり、嬉しいなどの気持ち(感性)を交えて表現してみましょう。

 また、「私も本当にそう思うんですよね」というような、心からの同意などを伝えてみることも効果的です。

 こうして、「あなたの考えに共感する」「あなたによって、こんなふうに私は感情を持った」というように相手の影響力を受け容れることで、相手も「自分を受け容れてもらっている」という特別な心地よさを感じることができます。

 得に、感情的なものや感覚的なものは、脳の働きの影響で、論理的な会話よりも強い印象として記憶されるため、ぐっと親密感が高まることがあります。

 ただ、ここですべて感情や感覚をあらわにしてしまうと、逆効果になってしまうので注意してください。あくまで会話の中で、どれだけかの感情・感覚・共感・本音・相手への深い同意などを交えるだけで大丈夫です。繰り返していくことで、この感覚は掴めていくはずです。

 こうしたときにも、決して自分を責める必要はありません。

 本当ならば許されたり、「誰にでも失敗はある」とフォローされたり、あなたのことを大切に扱ってくれる人もいることでしょう。

 ちょっとした「その人らしさ」というアイデンティティを記憶づけることによって、親密さを抱きやすい関係を創ることができるでしょう。

 いかがでしたか?

 ちょっとした工夫で、平坦だった会話に鮮やかな印象を持たせることは可能です。

 ぜひ無理のない範囲で取り入れながら、交流を楽しんでくださいね。

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▼依存的な人間関係は自己欺瞞を助長する

依存的な人間関係とは、他者に自分の存在証明がある関係である。他者がもつイメージが自分の存在の起点になるような関係だ。そのため、他者からどう思われるか、受け入れられるか、愛されるか、といったことを必要以上に気にするようになる。

このような人間関係を構築してしまう人というのは、他者から見える部分をコントロールすれば現実が克服できると想定しがちになる。実際には貧乏でも、金持ちだと人に思わせれば「自分は金持ちである」と考える。実際には愚か者でも、頭がよいと人に思わせれば「自分は知性がある」と信じる。実際には自分を肯定していなくとも、人から受け入れてもらえれば「自分の存在を肯定できる」と思いこむ。

この手のタイプの人は、とことん自分を騙すことができるようになる。極論すれば、殺人を犯しても、人にばれなければ「自分はやっていない」と考えるようになる。

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▼甘やかしと自己欺瞞

パチンコ依存の若者に特有な傾向なのだが、「悩まない」という点があげられる。将来のこと、人間関係のこと、家族のこと、友人のこと、人生のこと、何一つ真剣に考えようとしない。真剣に考えることを怖れているようにもみえる。

幼児的な万能感や自分にたいする奢りがあるために、自分の卑小な現状や将来を考えないようにしていると考えられる。本来、悩むことによって、自分の支えだったそれらの自己中心的な発想を脱ぎ捨て、偏狭な価値観をやぶって再生するものなのだが、そういう壁を避けてしまうのである。

そして、なぜ悩むという行為自体を避けてしまうかといえば、現実を直視する精神的な耐久訓練ができていないからではないだろうか。甘やかされて育った人にこのタイプが多い。甘やかしという行為は、自分の欲求不満と戦う機会を子供から奪うだけでなく、甘やかしてもらえない状況にたいする恐怖心を子供に植え付ける。

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●他者についても自分同様、長所と欠点を同時に認識してより深い統合的な理解を持つことができない。

●他者は彼らの要求を満たすために存在し、要求を満たさないなら存在しなくて良い、と考えている。「自己と他者との間に境界があり、他者が別個の存在であって自己の延長でないこと」が理解できない。

●『過剰な理想化』によって相手を褒め殺しにすることも多いのだが、その理想像が少しでも崩れて自分に孤独感や不安感、怒りを感じさせるようになってくると、相手を『過小評価・全否定』するようになりやすい。

●理想化した相手が期待どおりでなかったという残念さやさびしさを感じないようにする

●『自分の価値を認めてくれない相手には価値がない』という脱価値化の心理機制を用いて巧みに孤立感の不安から自分を守っている

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(追記)
彼らは一体化の関係を求め(期待を押し付け理想を押し付け)
それが無理だとわかると(相手がおもう通りの人間じゃないと)
こきおろし、勝手に離れていきました。(失望し幻滅し非難の対象へと変える)
それがパーソナリティ障害

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自己愛って「飽き性」だったりしない?
興味を持ってるときはしつこい位の食い付きだけど(異性関係とかも)
興味なくなったら、バサッと斬るようにそれに関して触れなくなる。

「私に愛されたければ、私の機嫌をとりなさい」と要求し、相手が従おうとしなければ、ひどい屈辱を感じ、「機嫌をとらないのであれば、あなたを見捨てるぞ」という、まさに自分が子供のころにもっとも怖れていた言葉を突きつけて脅そうとするのです。

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●なんでもうまく・順調に・スムーズに、失敗なくできるはずだ、という思い込みと自己陶酔があり、失敗や挫折した自分を受け入れてやることができない

●自分の欠点や短所・失敗を受け容れられず、無理に覆い隠そうとしたり、虚勢を張って自分を実際よりも優れているように見せかける。

●【失敗は負け】であり、とても傷つくために失敗しないことを最優先させます。
あたって砕けろ みたいな思い切りができないためになかなか行動ができません。
同じ理由で失敗を認めない心理がはたらきます。

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弱みを見せられない
・自分の本当の弱みを見せれない人、負けを認められない人(プライドが異常に高い)
・人の過去は気になって聞きたがるのに、自分の過去はなかなか話さない。
・相手にマイナス面を見られ、評価されるのを恐れる。

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●【人に弱みをみせられない】
つらくても家族に弱音を吐くことができません。
本音を我慢し生活している姿は家族から何か近寄りがたい存在と思われてしまいます。

・無視に弱い
・最も恐れるのは何かというと、他人が自分に関心や好意を示さない『孤独状況』
・他人同士が自分を差し置いて仲良くするのを嫌う人(独占欲が強い、孤独恐怖症

・一人でいることが少ない、ひとりで暮らせない
・常に自分を常賛してくれる人が側にいないと支離滅裂になり崩壊しやすい
・孤独に対する耐性の低さと承認欲求(他者から肯定されたい欲求)の強さ。

・趣味やストレス発散法を持っていない
・自分ひとりでは有意義な時間を過ごすことができない孤独耐性の低さと見捨てられ不安。

1人きりになった時は鬱っぽく素の自分と向き合わないといけないから
落ち着かない雰囲気

上下関係・支配関係を作りたがる
・支配欲求(強い独占欲・嫉妬)
・人に敬ってほしがる(対等になれない)
・他者の行動をコントロールしようとする自己中心性。
・相手に対して優位な立場に立って、相手を間接的な言葉や態度(相手を不安にさせたり罪悪感を感じさせたりする言動)でマインドコントロールしようとする支配欲求。

対等な人間関係が作れず友達はいない
・なぜか友達がほとんどいない
・対等で信頼し合った人間関係を築くことの障害
・交友関係は盛んで、顔は広いようです。いい人なのに、親友はいないです。
・素を出せる友人がいない人、友人知人との距離感が変にある人、注意してくれる人が周りにいない人(常に過剰な演技してるので他人との密接な関係作れません)

人格障害の人は、人と本当につながることができにくい。見かけはつながっているように見えても、実は上辺だけだったり、演じているだけだったり、かりそめのものだったりします。本当に人を愛し、信じることに困難を感じるのです。

●機能不全家庭で育った人の人間関係は、決して親密ではありません。いつもどちらが上でどちらが下かをはかっています。本当の自分が出せず、人とつき合っていても孤独です。実際にひきこもる人もいますし、表面上は社交的でも、心は孤独のカプセルに入っている人もいます。さびしいのなら、心の敷居を低くしてありのままの自分で他人とふれ合えばいいのですが、それができません。弱みを見せたらバカにされると思うのです。

理由:なぜ対等の人間関係を築けないのか
●内的価値は自分の存在が周囲から許され愛されており、無条件に自分という存在には価値があるという感覚があるときに成立する。自己の内的なものに自信がない彼らは、周囲の人からどう思われるかに敏感であり、常に他人と自分を比較しながら生きざるを得なくなる。輝く自分を実現するには、他人を蹴落してでも上位にならなければならない。外的価値は結果を出すことでしか得られず、必然的に対人関係は勝ち負けの世界となる。優越している自分は他者を見下す対象にし、転落した無能な自分は見下される対象になり、対等の人間関係を築くことが困難になる。

●自己愛の過剰は、いつでも自分が相手よりも優位に立っていて物事について良く知っており、相手に敬意を払われなければならないという『非現実的な認知』を強化する。

●発達早期における『他者への基本的信頼感』と『孤独に耐える一定の自己評価』が適切に形成されなかったために、大切な他者に一方的に見捨てられることを恐れて過度に自己中心的かつ依存的(操作的)に振る舞うという部分があります。

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対等でかつ親密な人間関係

自己愛は人を見下す心理状況という盾によって自己防衛をする人たちだから。

しかし自分に自信がないから、親しくない人にはびくびくしています。自己否定的な人間に対してと、自己肯定的な人間に対してとでは驚くほど違った態度をとります。彼らは心理的に健康な人とは親しくなれません。自己否定的な人は「なめられている」のです。

最初はうまいこと立ち回るけど途中で誰しもが違和感に気づいてくれるから
適当につきあってる人はいるけど誰も心からつきあってるやついない
そしてそれを本人も分かってるみたいで人間関係作るのにやっきになってるけど
あわれな人種だわ
「みんな疲れ果てて去って行った」ようです。最初のころは?でしたが、
今は意味がわかります。自分の傷には敏感で、他人は平気で傷つけ、
人の痛みには鈍感でどうでもいいんだな、と思います。
疎遠されるのは自分に対して嫉妬してるとか、個性的な自分を理解出来る人間が
いないだけとか悪いこともポジティブ思考になるんだよね。
普通に考えたら友達の一人もいないのは自分に避けられるだけの要素がある
んだと省みるんだけど自己愛の辞書には反省と言う文字がないんだよね。

なんで自己愛ってこちらが恋愛経験無し、社交性無しの前提で話してくんのw
最初は軽いノリで行ったほうが~
友好的に接しないと向こうも~
そんなことは私も良くあるし~
人生経験豊富なアドバイザー気取り
シネw

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●本当の意味で、加害者の世界に「他者」は存在していないのです。加害者の世界に存在しているのは、「自分という特別な存在」だけ。この人が必要としているものは、「自分に優越感を感じさせてくれるアイテム」と、せいぜい「現実問題を実務的に処理してくれる世話係」といったところです。

●他者と人間関係を持つにしても、それは自らの自尊心を支えるために人を利用しているにすぎない。本当の意味で他者に共感したり、思いやりを持ったり、感謝したりする能力に乏しく、他者との現実的な信頼関係を持つことができない。 良心に乏しく利己的な人間である。それにもかかわらず「自分は良心的で利他的な行いをしているから、他者から愛されるべき存在でなければならない」と自己評価している場合が多いため、現実とのギャップが受け入れられず抑うつ的になることがある。なお学習の結果、うわべだけの思いやりを示すことは可能である。

●自己愛者にはある一つのことが欠けている。それは「他者を尊重する」ということである。「尊重」を単純な定義で表現することは難しいが、幾つかの要点を記述すると、他者を一人の人格として認め、対等に接し、相互交流し、敬い、容認し、愛するといった事が上げられる。

現実の能力や実績に見合わない高い理想や自尊心を持っているので、実際の仕事では望み通りの自己評価や承認を得られないことが多く、慢性的な不遇感や空虚感を抱きやすい。

●自分自身が本当にやりたい仕事や好きな活動が何か特定することが難しい

劣っていると感じた人々に高慢な態度をとる

●本人にしてみれば、高慢だと言われてもぴんと来ないかもしれません。それよりは、他人や周囲の出来事を過小評価していると言った方が理解されやすいかもしれません。自分より優れたものを認めたがらず馬鹿にしているので、他人の能力や才能が見えず、他人の優秀さを無視します。そして、他人を見下したり軽蔑したりすることに快感を覚えたりします。

●妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。

「皆で平等に楽しく」ができない人、仲間はずれを作りたがる人、他人をランクづけする人

・自分の優越感を支えるため
・相対的に自己価値を高めようと必死
・批判したり、認めない、侮辱することで己の優位性を保つ
・他者を貶めることで、優越性を維持し補強する

親にありのままの自分を愛してもらうことで、自分が「ある点では」劣っていることを受け入れている人は、人をねたむ心理的必要性がありません。自分がある点で人より劣っているということを受け入れられない人が、反動形成として高慢になるのです。

本人は自分に自信があって、他人をちょっとからかっているつもりなんでしょうが、
だいたい内容は悪質な嫌味の事が多い。

●生きていくためには自分は完全に善なる存在でいなくてはならず、自分の中にいわゆる悪い気持ちが生じることが許せません。(例えば「ずるさ」「汚さ」「醜さ」「過ち」「非」「欠点」「弱さ」など。)
こうした悪い気持ちを自分の中から排除するために、その気持ちはあたかも他者が持っているかのように錯覚することで自分の身を守る方法を投影同一視と言います。噛み砕いて言えば、自分の中の気持ちを相手の中に投げ入れるということです

なぜこのような防衛機制が発生するのかと言いますと、患者には自分というものがないからなのです。自分というものがないので、葛藤を自分だけで抱えることができないのです。

利用した人に対して本当の意味で感謝することはありません。
人の目を気にしたパフォーマンスとして感謝している演出をすることはあります。
また、他人や目上の人に対してはへりくだり感謝の気持ちを表します。

いつも「~したった」という自分の行為のみが心に残り、他者からしてもらった事はすべてノーカウントです。

●利用した人に対しては、心から感謝することはありません。なぜなら、人が自分のために何かをやってくれるのは当たり前だと信じているからです。自分は特別な人間だから、周囲が自分のために努力するのは当然だと信じてやまないのです。


●さらに、恐いことに見捨てられ不安の方は、自分は無価値だという信念を証明して生きているので、「自分は無価値だ」という思考に繋がることしか記憶しません。ポジティブなこと、幸せなことは、記憶する習慣がないために記憶出来ないのです。
これは、乳幼児期に危険(他人からの怒りや暴力)を察知し、自分を押し殺さなければ生きてこれなかったため、危険(他人からの怒りや暴力)を察知する癖がつき、日常的に、他人の怒りや感情、暴力等を察知、記憶し、生きていこうとする術なのです。(大人になっても、気付かなければそのままです。)
ポジティブなこと、幸せなことは、危険性がないために認識しにくく、記憶しにくくなっています。

なので、見捨てられ不安の方は、どんなに温かな愛情を贈られていても、気付きにくく、意識には届きません。ただひたすらにネガティブな感情や情報に敏感に反応し、記憶し、ネガティブな人生を創っていきます。

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自己と他者の境界線の曖昧さ

自分と同等の存在として認識する他者(対象)のことを、精神分析では『自己対象』と呼びますが、自己愛障害では『自己と自己対象との境界線』が薄まってしまい、自己対象(親しい他者)にも自分と同じような考え方・接し方をして欲しいという欲求が強くなり過ぎてしまうのです。

しかし実際には他者には他者の人格(内的構造)があり、他者には他者の生活・仕事・人間関係の都合があるわけですから、どんなに親しくて気心の知れている家族・恋人・親友であっても、『自分の思い通りの反応・愛情供給・承認』を得るというのは原理的に不可能であり、ここに自己愛障害に特有の『自己と他者との不適切な距離感の問題(依存と要求の過剰によるトラブル)』が生まれやすくなります。

この世のすべての人は他人なのです。どんなに愛し合っているカップルでも、パートナーというのは、自分とは別個の人間なのです。このような理解の上に立つことが出来れば、パートナーの個性を認めることも出来るようになりますし、相手の人への思い遣りや配慮も生まれてくるのです。もしも、自分と他人の区別が失われてしまい、相手の人を自分の延長のように扱ったりしますと、思い遣りや配慮も失われてしまい、二人の関係は壊れやすいものになってしまいます。このようなことは「親しき仲にも礼儀あり」という諺にも通じるものがあります。つまり、健全な人間関係を作り、それを維持していくためには、そこに健全な自他の区別が必要となるのです。

自己愛人間は境界を侵害します。自己と他者とのあいだに境界があり、他者が別個の存在であって自己の延長でないことが理解できません。絶対的な特権意識を持つ彼らにとって、彼らの欲求はあなたの欲求より重要です。

自己愛人間は、実力の認識や、独り立ちする自信を発達させられません。そして周囲に目を走らせ、「足りないものや必要なものを与えてくれる他者」を探し出す能力を磨きます。何かしらの「満足を与えてくれそうな相手」は、彼らの「自己の延長」とみなされ、「分離していない存在」として扱われます。役に立つ者は自動的に彼らの期待に応えて当然とみなされます。彼らにとって利用価値のない者は切り捨てられます。彼らにとって他者は彼らの要求を満たすために存在し、要求を満たさないなら存在しなくてよい。

「境界の侵害」を我慢する側も、自分が分離した存在だという確固たる意識が形作られていません。たいていの場合、生まれ育った家庭で侵害を受け入れるよう教えられ、自律を支援されてこなかったためです。

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(境界性、自己愛性)パーソナリティ障害の最も特異的な部分は「自他の区別が付かないこと」だと読んだことがある。

自分の事は自分が一番分かっているのであれば、「他人(自分)が私の望むことを察しないで満たしてくれないのはおかしい」というような境界線問題が主題なのではないだろうか。

「自分の不平不満を言葉ではなく態度で示せば即座に誰かが満たしてくれる」「自分の不快さは他人(自分)が取り除くべきだ」という生き方は赤ちゃんの時期だけなのが人間のあるべき発育段階なのだと思っている。
で、だんだんと「他人は役に立たない、言わなきゃ分からないし言ってもわかってもらえない」ということを学ぶはずなんだけど、どこかでストップしてしまった人たちの一つの行き先がパーソナリティ障害なんじゃないかと。

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●無力感に悩まされている人間は、「してもらった」より、「してやった」という気持ちを持ちたがります。そのため、おせっかいをしたうえに感謝を要求します。「してやった」という恩着せがましい態度は、無力感に悩まされている人間がとりがちな態度です。不安感にさいなまれ、自分の人生に意味を感じられない人は、相手になにかをしてやり、感謝されることで自分の存在を確認しようとします。

●無力感や劣等感に苦しむ男性が、求めるものは“頼られる”ことです。頼られることによって、その人は無力感や劣等感から解放されます。それに何よりも相手から感謝を期待できます。無力感に悩む者にとって、他人からの感謝ほどうれしいものはありません。「自分がいなければあいつはまだダメだ」と思うことは、気持ちの安定をその人にもたらします。

不幸な人を見ると喜んで世話をします。しかし相手が幸福になることを決して許しません。その人は不幸な人を世話することで、自分の無価値感を克服しようとしているからです。相手が不幸であるからこそ自分の支配欲が満たされ、自分の優位が確立されます。搾取的な構えの人は、不幸な人が幸せになろうとすると妨害します。

彼らの一時的な親切は、「少しでも『自分の方がましだ』と思える立場にいたい」という動機にもとづいています。だから不幸な人間は格好の餌食になります。なぜなら、自分より不幸な人間がいて、自分をはげましてくれる不幸な話を聞かせてもらえるからです。自分より不幸な人間を見ていることでプライドが癒されるのです。

●弱ってる人間、他人の世話が必要でその人の面倒を看るやさしい、すばらしい人間。自分の自己愛を満たすために人を利用するのです。
しかし、もともと自己愛性なので面倒になれば簡単に捨てます。なんせ自己愛満たすのが目的なのですから。また、賛美してくれそうな感謝してもらえる人間探すだけ。

●「色んな事に気遣える人って印象を周囲に植え付けておく」ための行為だと思います。「日頃の気遣いがこんなにできる、よく出来た人間」だから、、「私の言うことは正しい・間違いない」という印象を撒いているんだと思いますよ。
なので、「相手の事を本気で気遣って」言ってるのではありません。全ては、周囲を自分の同意者に仕立てるための、(自分の為の)行為です。

●期待した反応がないと「自分がこんなにしているのに」と相手に不満を持ちます。

悩み相談にのりたがる
●自己愛的な人間は自分を立派に見せることで頭がいっぱいなので、自信喪失して悩みを相談する人をダメ人間のように扱います。その結果、相手をより深い自信喪失に追い込みます。自分を有能な人間であるという印象を相手に与えることで頭がいっぱいな人は、相手の悩みには本質的に無関心なのです。

■良く思われたい相手の場合
自己愛性人格障害、一見して人が良く優しい感じに思えますが、実は中身がないんですよ。
人に優しくするのは、自分がいい人だと思われたいための演出。
なので過剰なほどのサービスをするんですよ。
人の相談も何だって聞き、相手を慰めるのも上手なんですが、言葉は同情しか出てこないわけです。
なぜなら、ちょっとでも批判すると感謝などされないでしょ?
人に認めて欲しい、人から必要だと思われたい、そのためなら安っぽい同情くらい何時間でも出来るわけですよ。
だから、自己愛性人格障害の人の言葉には『心がない』と言われています。

・自分に対する評価を異常に気にする
・誰が何を言ってたかを執拗に聞いてくる
・表面上自信ありげなくせに他人からの評価に敏感で一喜一憂する
・おだてに弱い。
・些細な批判にも傷ついたり、過剰に反応し怒ったりする

言動がわざとらしく演技くさい
・表情や立ち振る舞いがわざとらしく演技くさい人
(常に理想の自分、評価される自分を演じています)
・何をするのにも周囲へのアピール感がある人(褒めてくれオーラが強い)
・他人への親切がわざとらしい人(異常な自己顕示欲の強さ)

理由:他者の評価を通して自尊心を維持している
1. 脆弱で揺らぎやすい自尊心
2. その脆弱な自尊心は、もっぱら他者から肯定的に評価されることよってのみ維持される。

●本来持っているはずの「自分自身の存在を大事に思える健全な自己愛」がかけていることで、自分の存在価値や愛情を他人を使って満たそうとする、「自分が自分で認められない人」。自分がないから他人の評価に必死になり、評価を得るためには命がけにもなるのが自己愛性障害。

●他の人に認めてもらわないと自分を維持できないのは、安定した自己像が存在せず、他者という鏡を通してしか自己意識の高揚を感じられないためである。

●『他人に必要とされない自分には価値がない・他人に愛されない自分はダメな人間だ』という他者の反応に自分の存在意義を仮託した信念。他者が自分を愛してくれたり承認してくれた時にのみ自己評価が向上して感情(気分)が安定してくる。

●自尊心がもっぱら(自己ではなく)他者の評価によって決定されるため、常に他者からの影響にさらされ、その度に一喜一憂しがちになります。

●深刻な自己不信や漠然とした空虚さを感じており、本質的には他者に依存している。自尊心を維持するために、絶えず周囲からの称賛・好意・特別扱いを得ようとする。あるいは、自分が理想とするような権力や能力のある人に頼り、まるで自分がその人であるかのように考えたり振る舞ったりする。

●自己アイデンティティが拡散しており、自分が何者であるのかの自己確認を、『他人との力関係(支配・従属)』によって確認しているところがある。
・自己の存在価値や生きがいが他者の反応(存在)によって、他律的に規定される
・自分ひとりで何かを計画したり考えたり行動するだけでは、『安心感・自己価値感』を得ることができない

●自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が大好きに見えますがその根底にはじつは自分を好きになれない気持ちがあります。ありのままの自分を受け入れられず、つねに強くなくてはならないと思い込んでいるのです。この二重構造がつくられる背景には、もともとプライドに敏感な傾向があり、加えて育った環境の両方が関係するといわれています。子供の健全な自尊心は親に受け止められる安心感を土壌にして育ちます。ところが他人より優れているときや、親を喜ばせた時しか愛されないと、子供の中で自己愛が育ちません。自分の力、価値を認められず、つねに他人の評価を気にするようになるのです。

●高いプライドと自己顕示欲の強さは、自分は特別な存在だから特別に扱われたいという思いからです。心の内側には傷つきやすさや空虚感を抱いています。自信にあふれた様子は単なる見せかけです。精神分析で言う「いつわりの自己」です。自己愛的な人は、他人から見て素晴らしいと思われないと自分に自信が持てません。称賛のなかに自分の理想の姿を見ることでようやく自信をたもっているので、それができなくなると思うと不安になります。

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自己愛性人格障害の性質:自分は特別という意識
自己愛性人格障害の人は、自分は特別という意識が異常に強いです。

特に実績を上げているわけでもなく、周囲から見ても特別有能とも思えないのに、常に賞賛を期待し、特別扱いを求めています。

そのような人が部下である場合は、初歩的な仕事をしただけなのに、褒めてもらって当然というような期待をします。
上司が褒めれば、満足げな表情で次の仕事に取り掛かりますが、褒めずに次の仕事を割り振ると、物足りなさそうな表情で、仕事がどんどん雑になっていく傾向があります。

それだけならかわいいものですが、ひどい場合は、単純作業の仕事が回ってくると、周囲の同僚に押し付けてしまいます。
自分が嫌な仕事を他人に押し付けて平気なのは、周囲の人間と自分は違うのだといった特権意識があるからです。
自分は雑用をする人間ではない、もっとクリエイティブな仕事や、会社全体の方針に関わるような重要な仕事を任されるべき人間だと思っています。

しかし、自己愛性人格障害の人は、本当のところ自信がなくて不安でいっぱいです。
誇りが持てない、自尊心が保てない、だから周囲の人たちに持ち上げてもらわないと、惨めな気持ちになって自分が崩れてしまいます。

周囲から賞賛されたり、特別扱いされたりすることで、少しでも誇りを持てるようになりたいという心理が働いています。
本当に自信がある人は、賞賛や特別扱いなどを要求しません。
重要な役割に自分が選ばれないときに、攻撃的な反応を示すのも自信の無さのあらわれです。

能力の無い自分、平凡な自分といった現実を受け入れることができないので、このような言動に走ってしまいます。

他人の気持ちを思いやれず自分だけしか見えないので、人間関係に問題が生じてしまいます。
これが、自己愛性人格障害の特徴です。

いつでも自分のことばかり、他者を本当の意味で愛することができません。
他者もまた自分と同じようにさまざまな感情や考え方を持つ人間であると認めることができません。

過剰な自己愛を持つ人にとって、他人は常に比較の対象です。
自分が相手を見下す関係でいられるか、あるいは見下される立場に追い込まれるのか、2つに1つしかありません。

自己愛性人格障害の人は傷つきやすい自分も尊大な自分も好きではありません。

自己愛性人格障害の人が描く自分の姿は、二極分化しています。
ひとつは、人から賞賛を集めるような理想の自分、もうひとつは、無能でまったく取り柄のないダメな自分です。

理想の自分のイメージを保てる間は、周囲の人の気持ちはどうであれ、本人は万能感にあふれ、生き生きと過ごすことができます。

問題があらわになるのは、現実が本人の思い通りにいかなくなった時です。
自己イメージは反転し、自己評価は極端なまでに低下していきます。

理想の自分とダメな自分のギャップに本当の自分がいなくなっていると感じます。
それは言い換えると、実は自分を愛していないということです。

自分に自信がない反動から他者に攻撃することがあります。
また、自分の自尊心を満たしてくれる人間だけ置いてコントロールしようとすることもあります。
他者が自分の思い通りの言動をしない場合は、怒ってその人間を激しく非難します。

ありのままの自分を受け入れられず、理想を追い求め周囲にもそれを強制するので人間関係で行き詰まりやすくなります。

自分がかわいすぎて、実際よりもはるかにかっこよく見えていたり、有能に見えていたります。
いわば自己認識や現実認識がができていません。

ビジネス力を高めるためのスキル本やスキルアップセミナーの弊害といった面もあります。
何とかかっこいい自分に見せたい、有能な自分に見せたいといった過剰な自己愛心理を刺激して、見せ掛けをつくろう術を提供します。
そんな商品戦略に乗せられて、自分を大きく見せる術、自分を自信たっぷりに見せるスキルなどを形だけ仕込んで、知識や能力といった実質面を向上させる努力を怠る人が増えています。
ここにも自己愛が絡んでいます。

自己愛が過剰に強いということは、他人に対する甘えが強いということでもあります。

自己愛性人格障害の人の、自分のことを他人は常に考えてくれるべきといった思いや、自分の思うことを他人が汲み取って動くべきだといった思いの中に、甘えの心理がはっきりと表れています。

このように、相手の視点を考えることなく、自分の視点でしか物を見れないのが自己愛性人格障害の特徴です。
会話も一方的で相手の話を聞いていないので、会話に相互性がありません。

心底、他人の興味がないのです。
強烈な自己愛がゆえに、関心があるのは唯一自分だけなのです。

目立ちたい、人から注目されたい、賞賛されたい

自己愛性人格障害の人にとって、他人は引き立たせ役でなければ敵になる

地道な努力は嫌だけど賞賛がほしいという心理がある人にとって、手っ取り早く輝くことのできる外見は勝負する場としてふさわしいのです。

自己愛が強すぎるがゆえに自分のことしか考えられず、他者に無理な要求をします。

自分だけでなく他人もそれぞれ急ぐ事情があるとか、返品理由にならないことでは返品できない事情がわかりません。
窓口の人も担当者も一生懸命働いているということもわかりません。

たとえわかっていても、自分の都合や感情が全てです。
自分の視点しかなく、他人の視点に立つことができないというのが、自己愛性人格障害の特徴です。

自分で自分を支えられるだけの自信を持てるようになると、自己愛は健康的で成熟したものへと変化します。

自己愛性人格障害の人は、極度に傷つきやすい側面を持っています。
たえず周囲の視線を気にしてビクビクしています。

それは、理想化した自分のイメージを打ち砕かれる恐れがあるからです。
自己愛が非常に強く、自分はすごいと思い込んでいる人が持っているものは、実績に裏打ちされた自信ではなく、根拠のない自信です。
そのため、常に心の中で大きな不安を抱えています。

根拠のない自信は、厳しい現実を突きつけられると打ち砕かれ、本人は傷つきます。
ですので、自己愛性人格障害な人は現実を直視するのを恐れ、常に防衛的な姿勢を取ります。

自分は注目の的でありたいのに全然注目してもらえないと、寂しい気持ちになり自己嫌悪に陥ったり、注目してくれない周囲に攻撃的になったりします。
褒められると思っていたのに褒めてもらえないと、落胆するとともに恨みがましい気持ちになります。

そのように期待通りにいかずに傷ついてるのを周囲に気付かれたら、さらに立ち直れなくなるくらい傷つきます。
ですので、自分が傷ついていることを気付かれないようにします。

気になることでも気にしていないように装うので、友人に対しても防衛的な構えになります。
だから本音の付き合いができません。

友人なのに本音を隠して身構えているような人は、背景に傷つきやすく不安な気持ちを抱えているケースが多いです。

どんなに気の合う者同士でも、深く付き合えば、お互いの考えの相違に気付かざるを得ません。
しかし、自己愛性人格障害の人は、相手に合わせるということができません。
自分と相手との違いを前提に自己をコントロールすることができません。

期待するような反応を相手が示してくれないと勝手に傷ついたり、わがままを言って相手に離れられたりという経験を繰り返します。
やがて関係が深まることを恐れるようになり、表面的な関わりに留めるようになります。

自己愛性人格障害の人は、自分のプライドを守るために他者を攻撃します。

自己愛が強く、自分はかっこよくないといけないという強迫観念を持つため、傷つきやすく、不安が強く、防衛的な構えを崩しません。
このことが攻撃性につながります。

不安が強く身構えているときは、他者の言動に対して過敏に反応しやすいです。
ちょっとした言葉や態度にも、「馬鹿にされた」「裏切られた」などと被害者感情を持ち、攻撃的な反応を示します。
相手には全く悪意がなくても、その言葉や態度に勝手に悪意を読み取り、攻撃することもあります。

自分の思っていることに対して他者に共感してもらえないときも、攻撃的な反応が出やすいです。
自分の思っていることは絶対正しくみんなも分かってくれるはずだという思いが強いため、意見されることを嫌います。
意見されると、自分が否定されるように感じ傷つきます。

自己愛性人格障害の人は、自分のプライドが傷つかないような友人を選びます。

自己愛に満ちた自分の世界を平穏なものにするため、常に自分が傷つかないように防衛策をとっておく必要があります。
そのため、利己的な友人選択をします。

実は、自己愛性人格障害の人に限らず、一般的に人は、無意識のうちに自己評価が傷つかないような友人選択をしています。
しかし、それは常識の範囲です。

例えば、自分の得意分野では友人より自分の能力の方が優れており、他の分野では友人の方が優れているというケースが多いです。
そのため、同じ会社や同業者の友人より、違う会社や異業種の友人の方が付き合いやすく、長続きもしやすいです。

この傾向は大人のみならず、子供にもあります。
子供の場合は、自分の得意科目では負けたくないという心理が働きます。

自己愛が過剰な自己愛性人格障害の人は、自分の優位を確保することで自己評価の傷つきを避けたいという思いが非常に強いので、全く比較にならないような友人選択をします。

さらには、自分を持ち上げてくれるような相手ばかりを求め、反対に苦言を呈する相手は避ける傾向にあります。
そのため、本音で語り合う友人関係は築きにくく、裸の王様になりがちです。

自己愛性人格障害の人は、恩着せがましいです。
他人にしてあげたことばかり覚えています。

しかし、周りはみんな自分のために動くものと思い込んでいるので、自分が何かしてもらってもそれは当然で、特にしてもらったという意識はありません。

相手が期待通りに動いてくれないと、恩着せがましいことを言い出して、なぜ動いてくれないのかと詰め寄ります。
同じなようなことを自分もしてもらっているはずなのに、それを棚上げして要求ばかりします。

本人は厚かましいことを言ってる自覚はありません。
本当に相手に貸しがあると思いこんでいます。

これには、選択的想起の心理メカニズムが潜んでいます。
人間は自己正当化する動物であり、自分の行動を正当化するために、自分にとって有利な情報だけを持ち出します。
自分にとって都合のよいことばかり思い出し、都合の悪いことをは思い出しません。

一般的な人でもこのように記憶の歪みが生じるわけなのだから、病的に自分が大好きな自己愛性人格障害の人の記憶の歪みは想像を絶するものです。
記憶構造そのものが限りなく自己中心的に歪んでいるため、相手にしてあげたことばかりを覚えていて、いつも自分が損していると本気で思いこんでいます。

こういう考え方をしているので、しょっちゅう人間関係がこじれます。

自己愛性人格障害の人は、常に依存的で拒まれると逆上する傾向があります。
自分大好きなため、甘えが強く、相手がいったん受け入れてくれたのならどこまでも依存していきます。

この人は自分の話を聞いてくれると思うと、困ったこと、ムカついたこと、不安なことなどがあるたびに、すぐに頼ってくるようになります。
一方的に依存するばかりで、相手を気遣うことはなく、相手の話を親身になって聞くこともありません。
自分が受け入れてもらえていると思うと、次第にもっと遠慮がなくなり、要求や依存が限度なくエスカレートしていきます。

嫌気がさした相手が距離を置こうとし始めると、トラブルになってしまいます。
それまでさんざんお世話になっていたことに対する感謝の気持ちは全くなく、依存心が一転、敵意に変わります。
被害者意識を持ち、相手の悪口を言いふらすようになります。

このような甘えの原点は、親に対する幼児の気持ちと同じです。
自己中心的な視点しかなく、相手の立場を考えることができません。
自分の欲求が満たされるかどうかにしか関心がありません。

したがって、欲求が満たされなくなると不満が爆発し、それまで好意的に接してくれたことなどは一切忘れたかのように攻撃し始めます。
基準は、自分の期待や要求に相手が応えてくれるかどうかだけです。

自己愛の強い人は、本や雑誌、テレビなどで紹介された自身を魅力的に見せるアイテムやテクニックにはまりがちです。
自分を有能に見せたい、魅力的に見せたいという思いが強すぎるからです。

しかしこれらは、多くの人々に知られたという意味で、ほとんど通用しません。
自己愛性人格障害の人は、自分をモニターする機能が鈍っています。

自分の言動が適切かどうかモニターすることを自己モニタリングといいいます。
人は、その場にふさわしいものになっているか、周囲からどのように見られているか、モニターをしながらまた修正をしていきます。
普通の人は、自己モニタリングが正常に働いており、わざとらしくはなりません。

しかし、自己愛が強いとこう見られたいという自分の欲求が先走り、実際にこう見られているという周囲の視点に思いが及びません。
その結果、わざとらしさが露呈します。

本人の意気込みとは裏腹に、周囲の人から残念な目で見られています。
これは自己愛性人格障害の人が陥りやすい落とし穴です。

自分のことを非現実的なまでに理想化するのと同様に、好意を持った相手のことも非現実的なまでに理想化します。
親しくなると、まるで自分の分身であるかのように、自分のことは何でわかってくれる、どんなときも助けてくる、などと理想化して信じ込みます。

しかし、現実は自分の分身になってくれる人などいるわけがありません。
どんなに親しくなっても他人は他人です。

相手を自分の分身のように思っていると、期待はずれの反応が続いて不信の念がつもり、やがて理想は幻滅します。
そして、相手を攻撃し始めます。

相手にしてみれば、勝手な思い込みで理想化され、期待通りに動かなかったからといって攻撃されるなんて冗談ではありません。

このため、自己愛が強い人は人間関係が不安定で長続きしません。
現実を直視せず、非常に主観的な自分の世界に生きる性質の現れとも言えます。

自己愛性人格障害の人は、自分ではなく他者を変えようとします。

どれほど他者と親しくても、相手は自分の分身ではなく独立した個人同士なのだから、性格も趣味も習慣も違うのは言うまでもありません。
しかし、自己愛性人格障害の人は、そのことは頭では理解していても行動につながりません。
相手が一方的に自分に合わせることを当然のように要求します。

例えば、食事の際の店選びでは自分の食べたいものを中心に考えたり、映画も自分の見たい映画しか見ようとしません。
以前に相手が付き合ってくれたから、今度はあまり興味ないけれど自分が付き合ってあげよう、という気持ちにはなりません。
音楽の趣味、服装の趣味、休日の過ごし方、旅行の行く先なども同様です。

親しい相手と何でも共有したいという気持ちは、誰にでもあります。
しかし、自己愛性人格障害の人は、相手に合わせるつもりが一切なく、一方的に自分のやり方を押し付け、相手を変えようとします。
すなわち、歩み寄る姿勢が全くありません。

相手が合わせてくれないと、批判したり、拗ねたりと攻撃的な態度をとります。
大抵の場合は、相手は不満を募らせ、愛想を尽かすことになります。

このように、自己愛性人格障害の人は、親しくなると関係が悪化するという特性を持っています。

自己愛性人格障害の人は、恋愛関係も苦手です。

恋愛は心理的距離が極めて近い関係を築くので、お互いの歩み寄りが必須となります。
しかし、自己愛が過剰な人間は、自分中心の世界に馴染んでいるため、相手の視点に立ったり、相手のことを思いやることができません。

相手が自分に好意を持ってしてくれることには甘えても、献身という姿勢が欠けるため、お返しに相手に何かしてあげようとは思いません。
自分に合わせてもらっても、自分が合わせてあげようという発想には至りません。

つまり、対等な関係が築けません。
恋愛関係というよりも、親子関係に近い状態です。

自己愛性人格障害の人は、自分の好きなようにやりたい、心地よい世界を乱されたくない、という思いが強いです。
多少融通のきく人だと相手に合わせようと無理をしますが、それを続けていれば、当然のことですが疲れます。

他者と一緒にいて疲れるのは誰でも皆同じですが、自己愛性人格障害の人は日頃から自分の世界に浸ることが多く、人に合わせるのが極度に苦手なため、疲れ方が尋常ではありません。

そして、恋愛関係がこじれたときの落胆や煩わしさを考えると、もう深入りするのはやめようという考えに至ります。
「もうこんな疲れる関係はごめんだ。」と自ら恋愛から遠ざかることも少なくありません。

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このようなIT技術に代表される科学技術の発展は、かつては不可能だったことを可能にしてくれました。
従来は諦めなければならなかったことを、諦めなくてもよくしてくれました。
こうして人間は現実を思いのままにコントロールできるというような万能感を抱くようになりました。

言い換えると、諦めが悪くなりました。
思い通りにならないことがあると、イライラしてしまいます。
IT社会がもたらしたコントロール幻想が自己愛を増徴させる温床になっています。

自己愛性人格障害の増加の原因の一つは、さまざまなゲームが氾濫し、そのゲームが万能感を加速させることにあります。

ゲームをすることによって、疑似現実の世界に浸り、現実ではなかなか満たされない万能感を味わうことができたり、思い通りにならない現実から逃避することができます。

二次元コンプレックスもこの現象の一つだと言えます。
現実の三次元空間では異性とは口もきけないような寂しい日々であっても、漫画やアニメの二次元空間に入り込むと、魅力的なキャラと仲良くしている空想の世界に浸ります。

空想の世界は、当然自分に都合が良い世界なので、好きな異性に好かれるし、裏切られることもありません。
しかし現実の世界だとこうはいきません。

コンピュータ・ゲームの登場は、単にストーリーを楽しむだけではなく、自分も参加できるという点で二次元コンプレックスを一段と加速させました。
ゲームの法則を読み解き、うまくキーボードを操作すれば、自分の性格や外見、能力にとらわれることなく、楽しく過ごすことができます。

疑似現実の世界は、自己愛が強い人間の心の世界の重要な要素である万能感の幻想を増幅させます。

科学技術の進歩に伴い、こうした疑似現実の世界がますます進化していくため、人の心の中には現実的な根拠の無い万能感が生み出され、自己愛性人格障害を増加させています。

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自己愛性人格障害の増加の原因として、インターネットの普及が挙げられます。

インターネットの世界の人間関係には次のような特徴があります。

匿名である
自らを名乗ることなくコミュニケーションをとることが可能なので、無責任になりがちだったり、攻撃性を強めたりします。

真意が伝わりにくい
ボディランゲージなどの非言語的コミュニケーションが使えないため、誤解が生じやすいです。

他人への配慮が必要ない
相手も匿名なので存在感が薄く、対人的な配慮を必要とされません。

人間関係を選択できる
共通の趣味など、部分的な付き合いですむために、人間関係の使い分けが促進されます。

新しい親密さ
顔も知らないのに非常に親密であったり、物理的距離と心理的距離の逆転など、新しい親密な形が増えます。

インターネットの世界では、共通の関心を持っているところから人間関係が始まります。
そして、雰囲気が合わない、気に入らない人間がいると感じたら、抜ければいいだけです。

実世界と違って、日常的に顔を合わせる相手はいないので、関わりを断っても気まずさはありません。

インターネットでは、都合の良い相手とだけの世界を構築できるので、思い通りにならない、ワガママが通用しない現実に直面することがなくなります。
その結果、自己愛の強い人間がますます増えていきます。

プロとアマの区別がなくなり、アマの人間でもプロであるかのようなコメントをすることができます。
専門知識がない素人が、上から目線でこき下ろすことが可能になります。

自己愛の強い人間は、他人の事情や気持ちなど考慮しません。
重要なのは自分がどう思って同感じるかだけです。

共感性が欠如したコメントや自己の過大視したコメントがインターネットの世界には溢れています。
このような風潮が、自己愛性人格障害を増加させる元凶になっています。

ネット上では、対面の付き合いとは違い、顔も知らなければ、名前も年齢も性別さえもわかりません。
日常的に会わなければいけないわけでもなく、何のしがらみもありません。
社会的属性もわからないので、ある意味対等に付き合うことができます。

このようにしてインターネットの世界は、相手に対する配慮を欠いた自己中心的なコミュニケーションを育む温床となります。

ネットの世界にどっぷりつかっていると、現実世界のコミュニケーションでもネットのコミュニケーションの癖が出てしまい、周囲から人が離れていってしまいます。

近年の自己愛性人格障害の増加の原因の一つに、インターネット上で容易に別人格になれるということが挙げられます。

実世界は、ほとんどの人がさまざまな我慢を強いられます。
こんなはずじゃなかったということが少なくありません。

そして、自分の限界を受け入れざるを得ない局面にも出くわします。
入りたい大学があったけど入学試験で不合格になった、芸能人になりたいのにオーディションに合格しない、クラブ活動でレギュラーになりたいのに周囲の強い選手がいてレギュラーになれない、などです。

このように現実の世界は、思い通りにならないことが多くストレスに満ちています。

そのストレスを発散する一つの方法として、インターネットをすることは有効ですが、向き合い方を間違うと逆効果になってしまいます。

インターネットの世界では、もう一人の理想の自分を容易に演出することができます。
匿名性があり、どんなキャリアでも手に入ります。
性別や年齢でさせ思いのままです。

現実の世界での限界を受け入れることが辛い人間は、ネット空間にどっぷりのめり込み、自己愛の幻想に浸るようになります。
そして万能感の幻想から抜け出せず、自己愛過剰な世界から抜け出しにくくなり、ついには自己愛性人格障害となって周囲の人を困らせます

日本はサービスが充実していてお客様扱いの社会ですが、それが自己愛性人格障害を増加させる原因の一つになっています。

商品を購入する立場か、販売する立場かで言葉遣いが決まり、お金を支払う立場の客は当然のように丁寧な扱いを受けます。

かつてはお客に対してであっても、フラットな対応であったのに対し、現在では完全にへりくだった調子でお客様扱いされます。
子供に対しても店員からは敬語で接されるのが普通です。

金を払う立場の客は、年齢も人格も問われず無条件に尊重されます。
どんなに未熟者でも、普段人に迷惑かけていても、客というだけで丁重に扱ってもらえます。

厳しい顧客獲得競争に晒されている店側は、「お客様は神様」というポリシーでますます客を丁寧に扱い、客の自己愛をくすぐって引き付けておこうとします。

このような風潮は良い側面もありますが、自己愛という側面においてはデメリットになります。
消費社会における極端なお客様扱いは、多くの現代人の自己愛を肥大化させてしまうからです。

お金を払って物やサービスを受け取るというのは、一種の対等な交換であるのに、どちらかが極端にへりくだることで、病的な自己愛過剰な社会が加速します。
こうして、自己愛が肥大化しモンスター化した消費者はクレーマーとなります。

自己愛性人格障害の増加の原因は、クレーマーの増加とも関連があります。

近年の消費社会では、「金を払う側が尊重されるのは当然」という風潮が根付いています。

消費者の要求は何でも通るもの、通すべきものと思い込んでるクレーマーが増加しています。
それは、まさに自己愛過剰がなせる業です。

思い通りにならないときや、相手が期待通りの対応をしてくれないときは、欲求不満を爆発させて攻撃的な態度をとります。
店員に対して、対等な人間なのだといった意識は一切なく、自分は客だから無条件に偉いのだと思い込んでいます。

窓口でちょっと待たされただけで大騒ぎして責任者を呼ぶ、飲食店で出された料理が温かくないと料理長に謝罪を要求する、その場で文句を言っても気持ちがおさまりきらず、帰宅してからネットに悪口を書き込む、などさまざまな問題を起こします。

消費者としての権力に取り付かれ、客としての立場を利用して過剰な自己愛を満たすのが癖になれば、それはもう立派な自己愛性人格障害といっても過言ではないでしょう。

消費者がモンスター化しクレーマーとなって、自己愛性人格障害にまで発展する背景には、度を越したお客様扱いの社会があるといってよいでしょう。

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現代社会では、自己愛が強い人間の欲望を刺激するような安易なレッテルが氾濫しています。
それが自己愛性人格障害の増加の原因の一つにもなっています。

例えば、次のようなレッテルがあります。

できる営業マンの必須アイテム
お金に困らない人の財布
成功する人は皆持っている手帳
周囲を釘づけにする髪形
異性をトリコにする香水

昨今の雑誌やインターネットではこのような特集をよく目にします。

誰しも仕事で成功したい、好きな異性と仲良くなりたいと願っているものです。
ですが、最近ではそれが見かけだけのものになっている風潮があります。

仕事で成功するのも、異性と仲良くなるのも本来重視されるのは中身のはずです。
しかし、その努力をせずに、見かけだけを追及する自己愛の満たし方は当然健全ではありません。

仕事が成功している人と同じアイテムを持ったところで仕事ができるようにはなりませんし、魅力的な女性と同じ髪型をしたところで異性にモテるようにはなりません。
冷静になって考えれば子供でもわかることです。

しかし、マスコミは手っ取り早く理想の自分になれる方法があるとしつこく消費者を刺激します。
そして安易なレッテルに飛びついた人は、自己愛がより肥大化し、ますます見かけばかりを追及するようになり、自己愛性人格障害へとなっていきます。

現代社会は、自己愛を刺激する言葉に溢れており、自己愛性人格障害の増加の原因の一つになっています。

それらの言葉が自己愛性人格障害の人を刺激し、ますます自己愛の沼にはまっていってしまいます。

「自分らしく」「自分の可能性を信じる」「自分の好きなことを仕事に」、これらの言葉が自己愛を刺激します。

正しく使えば問題ない言葉ですが、自己愛性人格障害の人は、「今の仕事は自分に合ってない。自分らしくない。」とすぐに気に入らない仕事を放り出してしまいます。

「自分はもっと高く評価されるべき、もっとすごいことができる可能性を秘めている。」などと自分を過大評価する人も少なくありません。
「妥協せずに自分の好きなことを仕事にするべき。」と言って、いつまでも定職につかずにアルバイトを転々とする人もいます。

上記の言葉は、夢があってよいですが、理想だけでは生活していけません。
自分の好きな仕事に取り組めて、大きな成果を出し、輝いてる人は確かにいますが、これらの人は当然努力を積みかさねています。
そういった努力をせずに、良いとこどりだけしたいと考えるのが自己愛性人格障害です。

現代社会のビジネス書などには、自己愛性人格障害の人を心地よくさせる言葉に溢れています。
いかにも自分は超人で何でもできる可能性があるかのようなことが書いています。
現実的な判断ができないのもまた、自己愛性人格障害の特徴の一つです。

 相手をきちんと見極めず盲目的に従ってしまうことで、劣等感や萎縮を感じて格下の気持ちが生まれてしまいます。

 どんな条件があったとしても、人間としてあなたと相手はあくまで対等です。

 社会的な肩書きなどは、その人自身が権威なのではなく、あくまでその人が持っている役割に権威があることを認識してください。

 そして、盲目的に従ったり、萎縮したり媚びたりする必要はないことを認識してみましょう。

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現代社会に多い引きこもりもまた自己愛性人格障害の一つの形と言うことができます。

引きこもりになる人は、自己愛が過剰で自分の世界に引きこもり、外の世界に対する関心が乏しいといった特徴があります。

本来外に向かうべき心のエネルギーが遮断されているため、他人に対して関心が湧きません。
そのため、共感性が乏しく独りよがりになります。

それらのエネルギーは全て自分自身に向けられるため、たえず自分のことばかり考えることになります。
自分のこと以外は眼中になく、自己愛はますます肥大化していきます。

引き込もり傾向が強い人が、人間関係で失敗し情緒不安定になりがちなのも、自分ばかり意識していることと関係しています。
どのような人でも、過度に自分に注意を向けるすぎると、ぎこちなくなり失敗しやすくなります。

無心で演奏していた音楽家が自分の手や指に意識を向けたとたんミスしたり、無心でプレーをしていたアスリートが自分の動きを意識したとたん調子を落とすといったケースは少なくありません。

人間という生き物は、外の世界で他者とつながって安定を得る側面が大きいです。
過剰な自己愛は、外の世界に対する関心を減少させ、自分に全ての関心を向けさせることで、かえって生きづらさを生み出し当人を苦しめています。

近年、社会全体が自己愛的になっています。

アンケートによると、自分が言ったことを他人がどう受け取るか気になる、人前で何かするとき自分のしぐさが気になる、といった人が増加しています。
これらの項目は、人から自分がどのように見られているかを気にする性格傾向を意味します。

人からどのように見られているか常に注意を払い、見られる自分姿を好ましいものにしようと努力します。
しかし、人にはわからない内面の成長をもたらすような趣味には興味を感じません。

若い女性に見られるダイエット志向や、中高年女性の被服や化粧に対する関心の強さ、見栄えを気にした趣味やスポーツの流行などはそのためとも言えます。

また企業も自己愛を助長するようなマーケティングをするようになりました。
これを使ったらいい女になれる、これを使ったら仕事ができるようになる、など表面しか捉えていない販売展開をしていることがあります。

このように、現代人全体が自己愛的な傾向を持ち始めている可能性があります。
こうした現代社会のあり方は、自己愛性人格障害を持つ人を生みやすい風土になっているのかもしれません。

健全な自己愛なら問題ありませんが、不健康な自己愛にならないよう気を付ける必要があります。

実際は肉体の自己愛者であり、気が弱いながらも身体的な外見や洋服などに注意を払っていることが特徴です。

好色的な自己愛性人格障害の人は浮気をしたり、結婚しても不倫をしたりすることが少なくありません。
恋人や配偶者の気持ちを思いやることができず、自分が全てだからです。
結婚している場合で配偶者が収入が少ない場合などは、配偶者を見くびって堂々と浮気をすることもあります。

自己愛性人格障害の人には、自分の欠点を優越感で隠そうとする人がいます。
いわば自分の欠点を補償していくタイプの自己愛性人格障害です。

このようなタイプは、回避性人格障害と通ずるものがあります。
いずれも、人生初期の体験で失敗していることが特徴です。

回避性人格障害の人は劣等感や世間の目から逃げますが、このタイプの自己愛性人格障害の人は自分の劣等感を優越感の幻想でごまかそうとします。
ですので、地位と名誉を得るために、懸命に努力します。

極端に他人の反応に敏感で、批判的な判断や否定する兆候がわずかであっても、気づきます。
自分の失敗の感覚を深く隠すために、優越感という外観を作ろうとします。

実は自分の内面の動きをある程度洞察することができますが、それにもかかわらず、栄光と達成の空想のひたります。
実際の世界ではない演劇や想像上のストーリーの中に、自分の役割を求め続けます。

このようなことをくり返していると、現実に引き戻された時に、ますます傲慢になり他者を無視するようになります。

自分より能力が劣ると思う人物をそばに置いて、優越感を満たそうとするケースもあります。
人を叱責し罵倒することもあれば、同情することで心理的に有利に立とうとします。

自己愛的な人は、統合された自己、統合された他の対象イメージの概念を作るのに失敗しています。
言い換えれば、全て良いか悪いかの思考になってしまっています。

それまで抱いていた誇大感と万能感を失い始め、また世界は自分が自由に利用できるものではなく、自力で対処しなければならないものであるということが、だんだんわかり始めます。

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家族の関係が変わることで、自己愛性人格障害の治療にも良い影響が現れます。
家族間の境界の見直しが有効です。

健康に機能している家族は次のような特徴があります。
ぜひ参考にしましょう。

世代間境界がはっきりしている
夫婦のきずながしっかりしている
家族全体に、何があってもうちの家族は壊れない、という自己信頼感と問題解決能力が十分にある
家族それぞれが、自分の感情と言動に責任をもち、他の人のせいにしない
家族それぞれが、自分の居場所を自分でみつけられる
家族それぞれが、自分の人生を楽しめる

患者の言動に振り回される家族は本当に大変です。
とりわけ患者が子どもの場合、母親は必要以上に罪悪感を持ち、一人で負担を抱え込んでしまうことがあります。

まず必要なのは、夫婦あるいは家族全員が問題意識を共有することがです。
それぞれが問題に向き合い、自分の役割を意識することで、健全な境界ができていきます。

意見の違いをおそれることはありません。
それは境界ができ、家族の機能が健全に動き出した現れでもあるからです。

各々の家族が自分の言動に責任を持つことは、治療においても良い影響を与えます。
人のせいにするという姿勢は決して見せないようにしましょう。
そして、家族は治療にばかりとらわれず、自分の居場所や趣味の世界などを大切にすることも重要です。

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自分の恋愛の常識は世の中の真理ではないという自覚を持って欲しい 恋愛に慣れない男を見下して自尊心を保ったところで人間の価値は変わらない

自分の心の醜さと向き合わず、いちいち親と男と社会のせいにしていれば、こんなラクなことはない。

全て自分が正しい、自分が優れている
全て自分が思っていることを他人も同じように思っている
全て自分は悪く無い(自分の理論の中では、自分の行動は間違っていないのだから周りが間違っている)

みなさまも口だけの人には十分ご注意いただければと思います。

その人がいつも当たり前にやっていることや、自分自身も気付いていないこと、あなただけが見つけた相手の素敵なところを褒めてあげることができれば、相手は「この人はこんなふうに自分のことを思ってくれたんだ、他の人とはちょっと違うかもしれない」と相手の心に残る人になることができるんです。

たとえば、お箸の持ち方が綺麗とかそんな小さなことでいいんです。相手の素敵なところを「発見」してあげましょう♪

自分から盛り上げて面白いことを話しているわけじゃないんですよ。相手から信頼される、心に残る受け答えをしているから聞き上手であり、モテているんです。

飲み会や職場で聞き上手のモテ女を目指すのであれば、会話上手を目指すのではなく、話を聞いて相手に興味を持つ、相手を認める、ということを意識しながら会話をしてみましょう。

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お酒を飲めるようになってからは特に、コンパや飲み会の次の日こそ「今日が勝負! 絶対遅刻も寝落ちもしない! 顔に出さないぞ!」と対処法を編み出していきましょう。この「遅刻しない、寝落ちしない、前日の疲れを顔に出さない」ができると自己管理能力の「体調管理、メンタルトレーニング、時間管理、意欲向上」が自然と身につきますよ。

二日酔いや寝不足でも「授業にちゃんと向かう」ことは、嫌な事とまっすぐに向き合っている、ということですよね。学校の授業を「私は学校に勉強をさせられてるんじゃない。自分で選んでここに来たんだ」「眠いけど、わたし今日もちゃんと授業に出てる! 私ってえらい! 逃げなかった!」と置かれた状況を自分で認めて、自発的に楽しんで取り組んでみましょう。

この「自分から楽しむ」ことができると、仕事だけでなく、恋愛や結婚生活にもとても役立ちますよ。

大学には教授だけでなく社会人講師もたくさんいます。会ったら声に出して挨拶を心掛け、授業中にはなるべく質疑応答で手を上げて発言してみましょう。授業後に質問しに行っても良いけど、できれば「授業中に手を上げて発言」ができるととても良いです。
これって人前で「自分の意見を相手にわかりやすく伝える、質問する」練習になるんです。会社の会議や、打ち合わせ、営業先との交渉力もかなり上がりますよ。

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「ありがとう」

すみません、ではなく「ありがとう」
この一言を添えるだけで、悪い空気が一転します。
例えば、エレベーターが閉まりそうな時に乗り込んでしまった。喫茶店でコーヒーをこぼして、その後始末をウエイターにしてもらった。
そんな時、「すみません」の連発、していませんか?

「すみません」を「ありがとう、助かりました」に変えるだけで相手の受け取り方は変わります。
悪い状況でなくても、先輩にご飯をご馳走になった、取引き先に手土産を頂いた、そんな時も、謙虚にしなきゃ!と良い意味で「すみません」を使いがち。
でもここも「ありがとうございます、嬉しいです」に変えるだけで「とても喜んでいる」気持ちが伝わります。
ふと「すみません」が口から出てしまってもとっさに「すみません、ありがとうございます」と添えるだけでもイメージはかなり変わりますよね。

紹介したような、ちょっとしたくふうや些細なポイントを心掛けるだけでも、大学生活や、卒業してからの社会も大きく変わっていきます。の変わっていくというのは、「自分が変わった」と思う前に、周りからの印象、評価が主に変わっていきます。そうすると仕事環境も、生活環境も楽しくなり、居心地が良い「自分のポジション、居場所」が作られていきますよ。

仕事はもちろん、家庭でも同じことなので、ぜひ男女問わず心掛けて頂けたら、嬉しいです。

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「気づかせてあげたい」と思っても、
“気づくか気づかないか”も、本人の自由です。
こちらが指摘してあげても、
本人に気づくつもりがなければ、
スルーされるか、相手を不愉快にさせるだけです。

唯一変えられるのは、自分だけです。
まずは、自分を何とかすることで、周りの人たちが
自然に変わっていくことは、あり得ます。

自分が“無いこと”にしていた感情を出し切れば、
もう同じ思いをする必要がなくなるから、
『同じ思いをさせる人たち』は、
自分の周りに存在しなくて良くなるからです。

そして、私の周りには
本当に自分を認めてあげられていない人が
集まっているという事実。

私からすれば、
愛されて育ったんだろうなと思うのですが、
その人も、どんなに頑張っていても
自分を認めてあげる事が出来ないでいます。

そして、そんな人達とは、
必ずといっていいほど、
初対面から凄く親しみを感じてしまうのです。

私は相手に自分を
投影しているのではないでしょうか。
助けてあげたいという込み上げる思いは、
相手に投影した自分自身を助けたいとか…

そのことに気づくまでは、
“自分を不愉快にさせる人”や、
“何とかしてあげなくちゃ!と思う人”が、
入れ替わり立ちかわり、自分の目の前に
現れるのです。

自分の周りにいる人達は、自分の鏡です。
見えない自分の姿を、
映し出して見せてくれているのです。

そして、自分以外の人間を変えようとするのは、
例えて言うなら、この鏡の中の自分を
変えようとするようなものです。
そんなこと、不可能ですよね。

つまり、鏡に映った姿(=自分の周りにいる人間)を
変えたいのなら、自分が変わればいい、という事です。

誰かが変わるためには、
「本人が変わろうとする」以外、ないのです。
それ以外の方法はありません。

さて、人を直接変える事はできませんが、
自分を認められるようになったら、
周りにいる人たちに、影響を与える可能性はあります。

幸せそうな姿を見て、
“自分も同じように変わりたい”
と思われるかもしれません。

本人が本気で変わりたいと願い、
「どうやって変わったの?教えて欲しい」と
尋ねられた時に、初めて、
その人の力になってあげる事が出来るのです。

だから、周りの人たちに「何かしてあげたい」と
真剣に考えているなら、
まず、自分を変える事です。

人を喜ばせることより、
自分を喜ばせることが、先です。
『自分を喜ばせている人』
『喜びならが生きている人』を、
人は好きになるのですから。

毎日、嫌そうな顔して、
ピリピリしながら長時間仕事している人と、
残業はしないけど、
毎日ニコニコ楽しそうに過ごしている人、
どちらが好きですか?

あなたがニコニコ楽しそうに生き始めた時、
鏡を見れば、
そこに映る人(=周囲の人たち)も
笑っているはずです(^_-)-☆

“自分が幸せじゃないから”
“自分の価値を認めて欲しいから”
“凄いと思われたいから”
人を助ける事で、ご自分の承認欲求を
満たそうとしている方が。

でも、満たされていない承認欲求を
お客様で満たそうとしているセラピストの所に、
人は集まらないでしょう。

だって嫌じゃないですか

お客として、お金を払ってセッションを受けているのに、
“当たってます”
“凄いですね”
“前向きになれました”
“おかげで楽になりました”
って言わなくちゃいけない、
つまり、相手を賞賛する事を、
暗に強要されているとしたら。。。

変える事が出来るのは、自分だけです。
人が変わるためには、
“本人が変わろうとする”以外、ないのです。
それ以外の方法はありません。


だから、不幸そうに見える人の事を気にして、
何とかしようとする前に、
まずは自分を幸せにしないとね。
だって、目の中に丸太のささった人の所には、
「おがくずを取って下さい」と、
人は頼みには来ないでしょう。

-
世界中の人ひとりひとりが、
自分が幸せでいること“だけ”に
責任を持ち、専念し、努力すれば、
世界中のすべての人が幸せになるはず、
だと私は思います。

例えば、モニター価格で商品やサービスを提供する。
ブログやHPで役に立つ情報を配信する。
笑顔で相手に安心感や幸福感を与える。
面白い事をして、人を楽しませる。
何かを頼まれた時、自分の能力を惜しみなく出し切って
相手の期待を上回る。

それは、その方々の潜在意識の中に
『損をしたくない!』
という強い気持ちがあるという事です。

じゃあ、なぜ、そんなに
『損をしたくない』と思っているのかを
更に探っていくと。。。

出てくるのが、
お金がない!
という言葉を口にしていたお母さんです。

お金がないから、無駄な事には使いたくないし、
人にも渡したくないのですね。
そして、自分が先に欲しくなる。

お金だけではなく、自分のスキルも
能力も先に出したくない。

じゃあ、なんで『お金がない』なんて
言うのでしょう。。。

それは、お母さんの中に
『未消化の不安』があるからだと
分かってきました。

さて、『不安』のもとにある本物の感情は
『恐れ』です。

実際には、お金があったとしても、
“『将来』なくなったら怖い”という予期不安が
『今』感じられるので、
まるで今、無いかのように、
「お金がない」と言ってしまうのです。

「将来、お金がなくなるのが怖い」
と言うべきところを
「お金がない」と言ってしまうのですね。


この時、将来お金が無くなる事を想像(妄想)して、
自分で自分を怖がらせています。

結局、お金が有っても、無くても怖いのです。

 

でも、子供には、お母さんの中で起こっている、
そんな事情は分かりません。

子供は、『親が正しい』と思っていますので、
“うちにはお金がないんだ”と
信じてしまうのです。

「今、お金がない」を信じた子供は
怖いと感じるでしょう。
お金がない⇒ご飯が食べられない⇒死
と、連想が繋がっていきますから。

お母さんが怖がっているのを察知して、
自分も怖くなる場合もあるでしょう。

 

『先に与える』⇒『損をする』⇒『お金が無くなる』⇒『怖い』
という思考が定着しているので、
『先に与える』は怖くて出来ません。

実は、死の恐怖を感じているのですから。


自分の命を守るために、ケチになる。

ケチケチして先に与えないから、
『お金が沢山入ってくる』という状態にはなりません。
つまり、あまり稼げない。

稼げない事で、更に不安になってケチになる。
更にお金は入って来ない。

という悪循環に陥るようです。


自分の子供さんに、将来豊かになって欲しいなら
「お金がない」は言わないで下さいね。

しかし、潜在意識の中に
『未完了の「怖い」』があると
怖くて損が出来ません。

先に与える事が必要だと分かっていても、
怖くて、不安で、
損をする事が出来ないのですね。

ですので、豊かになるために
まずは、『未完了の「怖い」』を
完了させる必要が出てきます。

自分のお母さんが
「お金がない」をよく口にしていた方は
まずは、自分の中に
「損をしたくない」という気持ちがないか、
「損することが怖い」と思っていないかどうか、
確かめてみて下さい。


そして、一見、『損』に見える事が
大きな利益となっていずれ還ってくることが
実感できたら、沢山稼げるようになりますよ。

人に喜んでもらうことで、多くの志ある方が
豊かになれたらいいなと思います。

望んでいる方、困っている方に
自分の持っているものを
まずは与えられたら良いですね。
『見返りを求めて先に与える』
というのは、結局
「損したくない」という気持ちが
心の底にあるということ。


気をつけないといけないのは
見返りは、お金だけではないということです。

相手に
・喜んでもらいたい
・感謝されたい
・尊敬されたい
・好かれたい
・良い人・凄い人だと思われたい、
というのも、すべて『見返り』ですから。

それは、相手に
・喜べ
・感謝しろ
・私を尊敬しろ
・私を好きになれ
・私に良い評価を!
を求める『コントロール』になっています。


人はコントロールされることを嫌いますから
見返を求めて何かをすると、人に嫌がられます。

見返を求められると、人は離れていくし、ましてや
お金を持って来てはくれませんからね。

 

先に与えているはずなのに
何も返って来ない!という方は、
潜在意識の中に、
「損したくない」という怖れがあるのだと思われます。

 

VRでの五感の再現について

 

触覚

jp.gamesindustry.biz

嗅覚

2016年下半期のアダルトVRについて

アダルトVR関連の主な出来事

8月 アダルト動画配信サイト「HBOX」がアダルトVR動画を配信開始
8月 アダルトVR動画配信サイト「AVVR」が公開
8月 KISSのアダルトゲーム「カスタムメイド」がVRに対応
8月 アダルトVRエキスポ開催
9月 イリュージョンVR対応アダルトゲーム「ハニーセレクト」発売
10月 アダルトVRカーニバルが北海道で開催
10月 DLsite.comでアダルトVRゲーム「なないちゃんとあそぼ!」ダウンロード版発売
10月 PSVR発売 ※立体視には対応していないもののアダルト映像も見ることが可能。
10月 イリュージョンアダルトVRゲーム「VRカノジョ」を発表。Steamでの配信を予定
10月 アダルト動画配信サイト「mpo」がアダルトVR動画を配信開始
11月 アダルトVR動画配信サイト「AdultFestVR」がリニューアル
11月 ジャパンアダルトエキスポ開催
11月 アダルト動画配信サイト「DMM」がアダルトVR動画を配信開始

アダルトVR動画主なプレイヤー一覧

・プラットフォーム
「AdultFestVR」300タイトル
「DMM」130タイトル
「HBOX」50タイトル
mpo」5タイトル

・アダルトVR動画サイト

「AVVR」90タイトル

・メーカー
CASANOVA(52)
ケイ・エム・プロデュース(27)
ブイワンVR(20)
アロマ企画(7)
ワープエンタテインメント(6)
VRG(5)
h.m.p(4)
SMSVR(3)
VRプロジェクト(2)
TMA(1)

※DMMでの販売本数

 

・DMM売り上げランキング
1位・・・CASANOVA
2位・・・VRプロジェクト
3位・・・ケイ・エム・プロデュース
4位・・・ケイ・エム・プロデュース
5位・・・ブイワンVR
6位・・・ケイ・エム・プロデュース
7位・・・ブイワンVR
8位・・・ケイ・エム・プロデュース
9位・・・ブイワンVR
10位・・・ブイワンVR

※1位と2位はおそらく10円セールの影響大。

 

・対応ハード
「オキュラス」
バイブ」
「プレステVR」
「ギアVR」
スマートフォン

全体の2016年売上台数予測

Oculus Rift: 355,088 units 35万台
HTC Vive: 420,108 units 42万台
PS VR: 2,602,307 units 260万台 
Samsung Gear VR: 2,316,632 units 231万台
Google Daydream: 450,083 units 45万台

※superdataresearch社調べ

 

アダルトVR動画の撮影パターン

①180°~220°
②360°
③単眼
④複眼
バイノーラル録音
主流は①と④のパターン。

連動デバイスへの対応

現状AdultFestVRの+1Dのみ対応。

いい言葉について

  • 価格ではなく価値で選ばれる、付加価値創造の努力
  • 全ての人間を平等にする

面白い会社について

・・・社畜コンテンツが充実。

 

・・・会社というか行ってみたい場所。

おススメのクラシック音楽「愛のあいさつ(エルガー作曲)」について

こんにちはゴリ田です。

僕はクラシック音楽が好きでよく聞いています。

Youtubeで「クラシック」で検索すると長時間のクラシック音楽がたくさん出てきます。

作業したいときのBGMとして聞くのもよし、リラックスしたいとき、気分転換したいときに聞くのもよしで心穏やかになります。

特に好きな曲が「愛のあいさつ(エルガー作曲)」です。

www.youtube.com

よく喫茶店などでも流れている曲で耳にしたことも多いと思います。

長らく曲名がわからなかったのですが最近偶然わかりました。

せっかくなのでこちらの曲について調べてみました。

愛の挨拶(あいさつ)エルガー 解説と試聴

8歳年上の娘キャロラインとの恋

彼女はエルガーより8歳も年上で、上流階級の娘というギャップもあったが、音楽という共通の趣味を持つ二人にとって、お互いに惹かれあっていくのにそれほど時間はかからなかった。

地位も名誉もなく財産もない一介の音楽家との結婚には、周囲から強い反対があったようだ。しかし二人は1889年5月8日、エルガー32歳のときにめでたく結婚を果たした。

以後、彼女はエルガーの音楽活動において、非常に大きな支えとなっていった。結婚前にエルガーが彼女のために捧げた「愛の挨拶(Salut d'amour)」は、日本でも多くの人に愛され続けている。

 愛する人の為に捧げた曲だそうです。感動しますね・・・。

またエルガーはその後32年間、彼女が亡くなるまで仲良く連れ添ったそうです。